だが、ここで大敗を喫した。当時の渡辺明竜王に4連敗を喫し、3戦を残して敗れた。当時の悔しさをこう語る。
「2連敗したあたりから『もしかすると4連敗するのではないか』という恐怖があったのですが、本当にその通りになってしまった。乱暴な言い方ですが、4連敗なら誰でもできます。不甲斐ないというか情けないというか…」
あまりの悔しさから、タイトル戦が終わった直後の飲み会で記憶をなくすほど酒を飲んだ。ふと我に返ったのは翌朝、ホテルのベッドから転げ落ちたときだった。
ただ、その後も順調にタイトル戦への挑戦権を得ていく。08年の王座戦、09年の王位戦、棋聖戦、14年の王位戦、16年の王位戦。挑戦すること14年間で6回。いつしか、木村王位には「中年の星」として多くのファンがついていた。その実力を誰もが認めていたが、それでも、タイトルにあと一つ手が届かない。
「なぜ勝てないんだ」という思いが募った。
「成長を諦めかけたことは何度もあります。『頑張っても、もう限界かな』って。トーナメント以外で仕事をしていこうと考えたこともあります」
30代半ばを過ぎた10年ほど前からは、衰えも感じ始めていた。
「これが最後のチャンスになるだろう」
そう考えて臨んだ16年の王位戦では3勝するも、あと一歩のところで6度目の挑戦は実らなかった。翌年には藤井聡太四段(当時)が15歳にしてデビュー以来破竹の29連勝の新記録を樹立。新たな若手も台頭してきていた。
そして19年、3年越しに巡ってきたタイトルのチャンス。相手は17歳下の29歳、豊島将之名人。3勝3敗で迎えた第七局。その重みを感じているのだろうか、記録係が行う先手・後手を決める振り駒はいつもより長いようだった。将棋はわずかながら先手が有利だとされている。ファン・報道陣らが固唾をのんで見守ったなか、木村王位は目を閉じていた。
「なるようになる。最後は運命だ」
木村王位は開き直っていた。振り駒の結果は後手。動揺はなかった。対局は、いつも通り序盤は時間を使わず終盤にたっぷり持ち時間を残す豊島名人に対し、木村王位は最初から時間を使ってゆく。対局途中では、両者の持ち時間には最大3時間もの差がついたが、木村王位は自分のスタイルを曲げなかった。
2日間、14時間以上におよぶ対局を制した木村“新”王位。史上最年長に加え、7回のタイトル挑戦をへての初タイトルも史上初だ。涙の悲願達成は、木村王位の座右の銘「百折不撓」(ひゃくせつふとう)のまさにそれだった。
「思いを持ち続けることができたのはよかった。諦めかけたことは何度もありましたが、やはり私は将棋しかできない」
(AERA dot.編集部/井上啓太)