天龍源一郎(てんりゅう・げんいちろう)/1950年、福井県生まれ。「ミスター・プロレス」の異名をとる。63年、13歳で大相撲の二所ノ関部屋入門後、天龍の四股名で16場所在位。76年10月にプロレスに転向、全日本プロレスに入団。90年に新団体SWSに移籍、92年にはWARを旗揚げ。2010年に「天龍プロジェクト」を発足。2015年11月15日、両国国技館での引退試合をもってマット生活に幕を下ろす(撮影/写真部・片山菜緒子)
天龍源一郎(てんりゅう・げんいちろう)/1950年、福井県生まれ。「ミスター・プロレス」の異名をとる。63年、13歳で大相撲の二所ノ関部屋入門後、天龍の四股名で16場所在位。76年10月にプロレスに転向、全日本プロレスに入団。90年に新団体SWSに移籍、92年にはWARを旗揚げ。2010年に「天龍プロジェクト」を発足。2015年11月15日、両国国技館での引退試合をもってマット生活に幕を下ろす(撮影/写真部・片山菜緒子)
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【「天龍さん、当時の全日本プロレスに掟はありましたか?」】


「赤いパンツを履いて馬場さんの技をやるのは絶対にダメ。さすがのジャンボも戸惑ってたけど、極力履かないようにみんなが気を使ってたね(笑)」(撮影/写真部・片山菜緒子)
「赤いパンツを履いて馬場さんの技をやるのは絶対にダメ。さすがのジャンボも戸惑ってたけど、極力履かないようにみんなが気を使ってたね(笑)」(撮影/写真部・片山菜緒子)

 50年に及ぶ格闘人生を終え、ようやく手にした「何もしない毎日」に喜んでいたのも束の間、突然患った大病を乗り越えて、カムバックを果たした天龍源一郎さん。来年に迎える70歳という節目の年に向けて、いま天龍さんが伝えたいこととは? 今回は「師弟関係」をテーマに、飄々と明るく、つれづれに語ります。

*    *  *
 師匠という存在は、まずは憧れから入るものかな。いくつになってもいたほうがいいものだと思うよ。そうして長く付き合っていくなかで、その人の人となりから、「ここは相いれない部分があるな」と感じたときには、また周りを見渡せばいい。止まり木みたいなもので、新たに探していくような対象なのかもしれない。自分も成長するし、1人だけに固執する必要はないよね。

 俺が最初に感銘を受けた人は、当時の二所ノ関部屋親方。「天龍」の四股名を与えてくれた、佐賀ノ花さんだね。物静かな人で見識が高く、弟子の俺たちも色々と諭してもらったよ。だけど、まだ10代のガキの俺には、親方の正論よりも、そこに反発して気ままに生きている、大麒麟さんたち兄弟子の姿のほうがカッコよく見えてね。今にして思えば、「親方の言うことなんて関係ねえ」なんて、ただの反逆児だな(笑)。

 親方の教え身に染みたのは、「若い衆が支えてくれるから、お前たち関取はいい格好ができるんだよ」ということ。ただ、その時の俺はすでに幕内力士で、「立場が偉い俺に若い奴が仕えるのは当たり前」っていう考えで、これが正論だと思ってた。それから少しして、大鵬さんが部屋を持って独立して内弟子がごそっと抜けたら、若い力士が本当に数えるほどしか残らなくてね。場所中も、「ご飯、おかわり」って、いつものように手を伸ばしても、給仕をする若い衆がいないから自分でよそったり(笑)。自分の支度をすべてこなす必要に迫られて初めて、「親方が言っていたのはこのことか」って理解できた。

「物事を考えるときは、自分よりも立場が下の人の気持ちにも寄り添え」。この教えはプロレスに行っても頭の片隅にあったし、実際に何度も助けられた。トップに立つとうぬぼれるけど、代わりなんてなんぼでもいるんだから。

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俺にとっての馬場さんとは…