どっちが真実ということはないと思いますが、カウンセリングでは前者のように仮定します。その方が「人は変わことができる」「人は自分の問題を解決することができる」という事実と整合性があるからです。

 支配されるのに甘んじている状態は心理学的に言えば「受動的行動」です。受動というのは、問題解決に主体的、積極的にかかわらない態度のことです。交流分析という理論によれば、受動的な行動は下の4種類があります。

・何もしない
・過剰適応
・激高
・無能にみせる、もしくは暴力

 後のほうがより深刻です。なんと、暴力は見た目とは異なり、心理的には最も強い受動的な行動です。

 優菜さんの受動的な行動の一つは、夫の言いなりになることです。これはご主人の指示に「過剰適応」しています。一方、ご主人は激しく優菜さんに説教をする「激高」です。

 厄介なのは「過剰適応」は、世間的には「よくできた人」とか「努力している」と評価され、本人もよいことだと誤解している場合があることです。また「何もしない」や「無能」は、場合によって同情を買うことがあります。例えば前述の裁判の母親は、夫の暴力的支配のせいで何もできなかったという「無能」が認められれば罪が軽くなる可能性があります。

 一方、夫の目を盗んで子どもに食事を与えたり世話をしたりする「自発的行動」があれば罪が重くなってしまう可能性があり、カウンセリングとは真逆の構造があります。それこそ、私がその裁判のニュースに違和感を覚えたポイントです。

 受動的行動のほうが世間や裁判でうまくやっていける可能性が高いなら、受動的行動に動機付けされてしまい、本質的な問題解決がより困難になってしまいます。

 ちなみに、優菜さん夫婦の本質的問題は、対等な立場でかかわることが難しいことではないかと想像されました。夫は上下の人間関係しか知らず、自分が上の立場に立とうと努力しているように思えますし、優菜さんは可哀そうな夫を(叱責されるダメな自分を演じて)陰ながら支えることで、自分の存在価値を感じているようにも思えました。

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解決できない問題の渦中にいるなら考えてみてほしいこと