私には、夫は、表面的には「(ダメな妻に)世間的に正しいことを教える」というようにみせて、妻の弱みを(無意識に)利用して、妻を支配しているのではないか、と想像しました。
では優菜さんは完全に夫に支配されているのかというと、そうも見えますが、もう一歩引いてみると、「支配に甘んじている(支配を許している)」ととらえることもできます。
本当に、完全に支配されているのなら、「苦しい」ことを認めても支障はないかもしれませんし、もっと無心になって、叱られないようにできるかもしれません。子どもがほしいという夢も持たないかもしれません。
私は、
「優菜さんに自由意志がある限り、ご主人の言いつけ通りにするのは無理じゃないかと思いますけどねぇ」
とちょっと挑発してみました。
「なら、自由意志はいりません」
とおっしゃいます。
「じゃあ模範的な奴隷になりたいってことですか?」
と改めてお聞きすると、さすがに悩んでしまわれました。
別にいじわるをしているわけではなく、ご自分が言っていること(信じていること)の意味がどういうことなのかを再検討していただくためのやりとりでした。
1週間と空けず次においでになったとき、優菜さんは、前回のカウンセリングの日、帰って夫の顔を見たら、怖い気持ちが残りつつも、ちょっとだけ夫が虚勢を張っているかわいそうな人に見えたと話してくれました。それだけでも大きな変化ですが、優菜さんはそこで立ち止まりませんでした。気が付いたことが今までの自分の考えとあまりに違うので、自分の考えが正しいか確認したくて、すぐにカウンセリングに来たのだそうです。
本当の本当は、自分は夫を「かわいそうな人だ」と心の底で見下していたから、夫が虚勢を張って支配しようとすることにある意味「協力」していたんだ、と気づいたのだそうです。
優菜さんは、自分は「支配されるのに甘んじていた」どころか「協力した」と認めたわけですが、そのように意識が切り替わるまでの間については「完全に支配されていた」という見方もあり得ると思います。