天龍源一郎(てんりゅう・げんいちろう)/1950年、福井県生まれ。「ミスター・プロレス」の異名をとる。63年、13歳で大相撲の二所ノ関部屋入門後、天龍の四股名で16場所在位。76年10月にプロレスに転向、全日本プロレスに入団。90年に新団体SWSに移籍、92年にはWARを旗揚げ。2010年に「天龍プロジェクト」を発足。2015年11月15日、両国国技館での引退試合をもってマット生活に幕を下ろす(撮影/写真部・片山菜緒子)
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先々のことを考えようとすると、頭の中にいる天龍源一郎が「お前はまだ大丈夫!」って立ちはだかってくるんだよ(撮影/写真部・片山菜緒子)

 格闘一筋の人生を、「好きな生き方をしてきたから、どうなっても悔いはない」と振り返っていた天龍源一郎さん。「独占告白(1)」では、70歳を目前に控えた今年、3度の脳梗塞からカムバックしていたこと、そして「たくさんの言霊を残したい」という気持ちに至るまでの葛藤を、初めて告白してくれました。後編では、「いちばんキツかった」という3度目の入院から現在の心境までを、包み隠さず語ります。

【写真】「まだまだ人生を謳歌するよ」インタビューに答える天龍源一郎さん

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 1度目の入院のときは本名もうまく書けない有様だったし、2回目も、みんなに助けられたという思いや、「万が一何か起きたら」という自覚もあって、おとなしく医師に従っていた。最悪だったのは、6月に入ってすぐの3回目。あの1週間は、さすがに長かった。

 この日は仕事帰りに、少し具合が悪くて病院に寄ったんだ。そうしたら、「脳梗塞の症状は出ていませんが、具合も悪そうだし念のため検査入院しましょう」って言われて。このときばかりは、「症状が出ていないなら帰る!」って暴れちゃった。娘は、「前の2回と態度が真逆じゃない。なんて傲慢な人なの」ってあきれてたね(笑)。

 脳外科や専門の病院のケアが手厚いということは理解できるけど、いまだに病院なんて慣れないよ。気晴らしに音楽も聴けないし、ただじっとしているだけ。「動いちゃだめ」「トイレは看護師についてもらって」とか制約も厳しいし、夜の9時には電気が消えちゃうし。まあ、競馬中継は見てたけど(笑)。

 それと、脳梗塞の入院で閉口したのが、点滴を打ち続けること。どこに行くにも点滴を引きずってる。他の重篤な患者さんの姿を見れば、「生意気なことは言っていられないな」とは思うけれど、これがいちばん厄介だった。

 3度の入院を経てまた平穏な日々に戻ったけれど、生活は本当に変わった。今はトレーニングも控えているし、間食も減った。脳梗塞は、「一度発症したら、ずっと注意を払う必要がある病気」なんだって。それで血流を良くする薬を生涯飲み続けることになった。コーラ1杯すら飲めない、あんな入院中のストレスをまた味わうことを考えたら、退院してから自分を律した生活を送ることなんて、たやすいもんだ(笑)。

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