バングラデシュの女性には、髪が長い人が少なくない。そんな人が美容院へいって髪を切る。その髪の毛を集めるのだ。美容院にしたら、ちょっとした収入になる。

 コックスバザールにあった「髪の毛センター」を見学させてもらったことがある。そこに彼がいた。案内された部屋のコンクリートの床を見たとき、一瞬、足が止まった。

「なんですか、これは」

 黒い塊が床に広げられていた。一見、地表に出で固まった黒い溶岩のように見えた。近づくと、それは髪の毛の塊だった。こうして大量に集められると……。

 髪の毛の塊の前には女性が座り、小さなごみをとり、長さの近い髪の毛を集めていた。気の遠くなるような仕事である。いったい1日にどれほどの髪の毛を束ねられるのか。

 髪の毛が運ばれるルートを描いてみる。バングラデシュとミャンマーの国境を流れるナフ川を越え、山深い道をトラックに積まれて北上し、中国の雲南省に入る。そして工場に搬入され、カツラに加工される。日本のメーカーの工場の製品は、海を渡り、日本人の男性や女性の頭の上に乗るのだ。

 世界のビジネスからすれば、それは珍しくないことなのだが、それがカツラとなると……立ち止まってしまう。

 カツラを利用する日本人は、その髪の毛がバングラデシュ南部の女性のものであることを知らない。

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下川裕治

下川裕治

下川裕治(しもかわ・ゆうじ)/1954年生まれ。アジアや沖縄を中心に著書多数。ネット配信の連載は「クリックディープ旅」(隔週)、「たそがれ色のオデッセイ」(毎週)、「東南アジア全鉄道走破の旅」(隔週)、「タビノート」(毎月)など

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