香港のデモの動画も、自由のために戦う人たちを応援したくてみんなリツイートしがちだけど、果たしてその背景は何だろうかと考えると怖い面もあるなと僕は思う。デモ隊が警察から暴力を受けている動画だって、本当の経緯まではわからないし、見たままの絵を鵜呑みにして良いんだろうかっていう気持ちもある。見せ方によってはフェイクニュースにもつながるから、この動画の責任は誰にあるんだろうってちょっと考えますよね。
僕なんかは「芸人なのにジャーナリスト気取り」って言われる代表で、自分でも何やってんだと思うこともあるわけですが、日本国民総ジャーナリスト化していますよね。
報道機関なら取材した後でも、会議か何かでイエス・ノーを判断する人がいるわけで、それがない一般の人の動画は、ちょっと危険な面もあるんじゃなかろうかとも思う。報道が出さなかったら「隠した」とか陰謀論に結びつけたがる傾向があるけど、ちゃんと責任を取るための判断だったりするわけです。それでも責任が取れない事態になることは、事実としてありますが、陰謀論とくっつけて批判ばかりするのはどうなんだろう。
最近はワイドショーでもオープニングに一般の人の動画によるニュースがよく入るけど、一視聴者としては、ここ1年ぐらいで背景を考えて見るようになりましたね。僕だけじゃなく、ネットに対してのキャリアが長くなっている人はそういうことに気づいていると思う。みんなネットを使い始めてだいたい10年ぐらい経って、ツイッターでの「迷い犬を探しています」という呼びかけが、もちろん本当に一生懸命探してることもあるし、残念だけどウソだったというケースにも出会ったと思います。もう少しすると動画の分野も淘汰されたり、一般の人だって何かのルールに則って撮るようになったり、過渡期に入っていくのかなと思います。
バラエティー番組でもおもしろ映像ってあるけど、それはVTRを集める会社がテレビ局に売ったもので、売るために作ることもあるだろうし、面白く編集されている可能性もありますからね。30メートル先のバスケットゴールに偶然入ったものを、偶然撮りましたっていうのはまず無くて、何度もチャレンジした結果だったり、喧嘩のシーンだってなんぼでも作れるわけです。
テレビはウソつくから、これからはネットでしょ!ってあまりに言い過ぎると、結局は自分の首を絞めることになるんじゃないかっていう予感がしています。そのまま場所が移るだけなら、ネットはつまんないって言われる時代がまた来るかもしれないですからね。