――なぜネットの世界にハマったんでしょうか?

例えば、恋愛とか人間関係って過程と結果がある程度予測できるじゃないですか。でもネットの世界は体験したことがなかった。危険性も魅力的でした。

――男子校なのに恋愛経験は豊富だったんですか?

あ、いえまったく(笑)。中学くらいからコミュ障でしたから。でも小学生のときはクラスの人気者で女子にはモテたんですよ。

――なるほど。当時のライブ配信というのはどういったものだったんですか?

16歳のときに「BARギコっぽいONLINE」という、マイクを通した声を配信できるサイトの存在を知ったんです。それが僕のライブ配信の始まりでした。視聴者は3人くらいしかいませんでしたが、ほぼ毎日自分の部屋で夜9時から配信し続けているうちに、そのサイトで一番の人気配信者になりました。パソコンに向かってしゃべっていたら親に「頭がおかしい」と思われて、精神科に連れて行かれそうになりましたけどね。

――クラスでも人気者になったんじゃないですか?

先生に伝わってやれなくなると嫌だったんで、誰にも配信のことは言いませんでした。僕にとってはなくしたくない大切な世界でしたから。

――昼は“コミュ障”、夜は“人気配信者”。そんな二重生活を送られていたんですね。

はい。クラスメートはとにかく勉強を頑張っている人たちだったので、別に教えても興味なかったと思います。人気配信者のほとんどが学生時代の卒業アルバムの写真をネットにさらされていますが、僕はコミュ障で友達もいなかったので、いまだにさらされていません。

――それはそれで寂しいような気もしますが……。そのころは「配信者として生きていこう」とは考えなかったんですか?

とくにやりたいことはなかったので、夢はリストラのない公務員でした。卒業後は広島の大学に進学して、1人暮らしを始めました。

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大学時代の友人もゼロ