また、たこさんといえばお酒のエピソードも枚挙にいとまがない。「毎晩居酒屋で過ごし、収録現場ではいつも酩酊状態」「飲み屋で客とケンカになり、右耳を噛みちぎられて一部が欠損」など、酔狂な彼の人生を笑い飛ばせる大らかさがそこにはあったのかもしれない。
「たこさんはいつも酔っぱらっていて、それが酒のせいなのかパンチドランカーだからなのかも判然としないまま、普通にテレビに出てましたから。俳優仕事も多かったのですがセリフ覚えが異様に悪く、気付いたらちゃんとしたセリフをほとんど与えられなくなっていたというのも“時代”ですよね(笑)。寝小便も頻繁にしてしまうため、師匠の由利徹さんの家にはいられなくなり、友人の家を転々として過ごしていたとか。彼の座右の銘でもある『迷惑かけてありがとう』という言葉通り、その温厚な人柄に触れると、みんな泊めちゃうそうなんですよ。女優のあき竹城(72歳)はたこさんの世話をよく焼いていて、“たこの恋人”なんて言われてましたね。
そんなたこさんは人気絶頂の1985年7月24日、酒を飲んで酔っ払ってるのに海で泳いでしまい、心臓マヒで急死。たこさんが当時レギュラー出演していた『笑っていいとも』の生放送中にタモリさんによって彼の死が全国に伝えられました。後日、弔問に訪れたタモリさんは『たこが海で死んだ。何にも悲しいことはない』と独特な言い回しで追悼の意を述べたことが今でも忘れられません」(前出の元ディレクター)
TVウオッチャーの中村裕一氏は、コメディアン・たこ八郎さんの功績を次のように解説する。
「これぞまさに『ザ・昭和』とでも言いましょうか、たどたどしく呂律も回らない彼のトークと存在は常に予測不能の笑いを生み出し、今より間口の広かった昭和のテレビバラエティ界において重用されていました。『困った人』であるにも関わらず、誰からも愛されていた彼のキャラクターには、人間くさい“味”があったのだと思います。しかし、テレビに限らず社会が異質なもの、面倒臭いものをどんどん排除して行った結果、今のテレビは気がつけばコンプライアンスでがんじがらめに縛られ、非常に窮屈になってしまった。彼が体現していた笑いをそのまま現代に持ち込むことはもはや難しいですが、視聴者である私たちも、単に『時代が違うから』と片づけず、新しい時代に向けて異質な個性を受け入れる寛容さを持ち合わせていたいですね」
たこさんの死後、東京台東区の法昌寺には彼のトレドマークだった髪型と欠損した右耳がそのまま象られた「たこ八郎地蔵」が置かれ、今でも手を合わせに来る人が途絶えないそうだ。そして、このたこ地蔵には彼の座右の銘である「めいわくかけてありがとう」としっかり掘られている。誰からも愛され、昭和を駆け抜けたコメディアンは、これからも忘れ去られることはないだろう。(藤原三星)

