ダイエー時代の89年4月8日の日本ハム戦(東京ドーム)で、代打に起用され、西崎幸広からプロ初打席アーチを記録したのがすべての始まりだった。この日は開幕戦だったため、パ・リーグ平成第1号のメモリアル弾にもなった。

 また、翌90年9月26日のオリックス戦(西宮)でも、山沖之彦からプロ野球通算6万号を放っている。

 そして、“持っている男”広永を決定的にしたのが、92年6月6日の西武戦(西武)。

 1点を追う6回2死一塁、代打で登場すると、潮崎哲也の初球、シュートを右越えに逆転2ラン。これが記念すべきパ・リーグ通算3万号となった。

「打席に入る前から、もし自分が打ったら、パ・リーグ3万号というのは知っていましたが、打てるとは思わなかったし、特別に意識もなかった」と言う本人だが、田淵幸一監督は「6万号もあっただろう。打率は低いけど、広永しかいないと思って(代打に)出したんだ」とニンマリだった。

 その後も広永は、同年10月1日の近鉄戦で、野茂英雄から、この年限りで取り壊された平和台球場で最後のメモリアルアーチも記録。オリックス時代の98年7月7日のロッテ戦(千葉マリン)では、ロッテにプロ野球史上ワーストの18連敗をもたらす代打満塁弾を放つと同時に、パ・リーグ史上初(史上2人目)の“代打の代打”による満塁本塁打というレアな記録もつくっている。

●プロフィール

1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。最新刊は電子書籍「プロ野球B級ニュース事件簿2018」上・下巻(野球文明叢書)。

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