同時に、タレントとしても活躍。「世界ウルルン滞在記」では体を張った旅人ぶりが話題になった。たとえば、ニューギニアの裸族と仲良くなるため、自分も陰毛を剃り、伝統的なペニスケースを装着するといった具合だ。それでいて、NHKのトーク番組「トップランナー」では3年にわたってMCを務めるなど、意外と器用なところも見せた。
■反原発運動で仕事を干される
とまあ、芸能人としての足跡をざっとたどってみたが――。山本の場合、政治家になる前と後とでそれほど変化があるようには思えない。そもそも、芸能界入りも政界入りもその経緯は同じようなものだ。テレビ出演を学校から禁止され、それならばと芸能人として生きることにした16歳の決断。反原発運動で仕事を干され、それならばと事務所を辞めた36歳の決断。2016年に出版された『山本太郎 闘いの原点 ひとり舞台』には、こんな一節がある。
「自由に表現するために芸能界に入ったのに、その場所は想像以上に不自由だった。自分の中での自粛もあったし、外からの規制もある。以前よりも貧乏になったかもしれないけど、今は本当に心地よい」
自分がやりたいことを自由にやることを何よりも優先する、それが彼の行動原理というわけだ。もちろん政治の世界とて、やっていくうちに不自由なことも増えていくのだろうが、今くらいのポジションならまだまだ心地よいのかもしれない。
自由な表現といえば、端的に表れているのがネーミングセンスだ。デビュー時の「アジャコング&戸塚ヨットスクールズ」しかり、政界進出後の「生活の党と山本太郎となかまたち」しかり。後者については「生活の党」との連携にあたって自らの党の名前もやや強引にねじこんだものだが、結果的に小沢一郎の凋落も浮き彫りにしてしまった。小沢に振り回された政治家は多いが、小沢を振り回した政治家は山本くらいだろう。
その後の「れいわ新選組」についても、なかなかのインパクトだ。自らも出演した大河ドラマからの連想だったりもするのだろうが、彼にはどこか時代がかったパフォーマンスを好むところがある。2014年の園遊会において、当時の天皇陛下に書簡を手渡した「直訴」騒動はその典型だ。坂本龍馬あたりを尊敬する政治家は珍しくないものの、幕末のヒーローみたいな行動を現代でやらかしてしまう政治家というのも山本くらいのものである。