石田三成像/東京大学史料編纂所所蔵模写
石田三成像/東京大学史料編纂所所蔵模写
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 豊臣の天下を守るために徳川家康と対決。しかし関ヶ原で敗れ、非業の死を遂げた石田三成。かつては「凡将」として語られることも少なくなかったが、近年再評価され、ファンも急増しているという。その理由を週刊朝日ムック「歴史道 Vol.4」から探ってみよう。

【画像】光成の「仁義」を信じた島左近

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 いま戦国武将・石田三成の人気が高まっている。それも男性ばかりではなく、三成のファンには女性が多いのが目を引く。三成の居城・佐和山城(滋賀県)を訪れる歴女や「城ガール」の姿も目立つという。

 歴史作家の江宮隆之氏は「近年の再評価により、映画やドラマにも頻繁に登場し、さらに注目度が高まったのではないでしょうか」と分析する。

 加えてその映像作品で三成を演じるのは決まってイケメン俳優である。2017年に公開された映画『関ヶ原』では岡田准一、大河ドラマ『真田丸』(2016年)では山本耕史と旬の男前が演じ、好評を博す。ビジュアル面での人気ぶりも手伝ってはいるだろう。

 石田三成の故郷・滋賀県では「武将と~いえば三成~♪」「配下にするなら三成~♪」というご当地CMが制作されて話題となった。SNS(ツイッター)にも「石田三成」というアカウントがあり、そのフォロワー数は実に16万人を超えている。いったい、この人気の要因は何だろう。

「それは、ひとえに“義”、すなわち正義を貫き、豊臣家に殉じた生きざまが、共感されているからでしょう」(江宮氏)

「寄らば大樹」という人が増えている昨今、それとは正反対の生き方を貫いた三成に“萌える”というわけだ。では、三成の「義」とは、どのようなものだったのだろうか。

「三成には『三つの義』がありました。第一に主君である豊臣秀吉への義に集約される『忠義』、第二に領民や家臣への『仁義』、第三に国家に対する『大義』です」(江宮氏)

 生きるか死ぬか。裏切りや謀略が日常的に起きた戦国時代。その当時の主従関係に確固たる絆はなかった。戦場で手柄を立て、「利」を得ることが生き残るすべであったのだ。その「利」とは充分な恩賞や褒美であり、それこそが御家安泰の糧。それが得られなければ簡単に寝返ってしまうのは、いわば道理でもあった。

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光成の「義」が育まれた人生、その軌跡をたどる