すずさんの故郷・江波地区にある広島電鉄江波車庫(撮影/武田元秀)
すずさんの故郷・江波地区にある広島電鉄江波車庫(撮影/武田元秀)
2015年に復元された広島電鉄の「被爆電車」635号車(c)朝日新聞社
2015年に復元された広島電鉄の「被爆電車」635号車(c)朝日新聞社
「雁木タクシー」から望んだ原爆ドームと相生橋(撮影/武田元秀)
「雁木タクシー」から望んだ原爆ドームと相生橋(撮影/武田元秀)
映画と変わらぬ姿の呉線本通跨道橋。車両は227系電車(撮影/武田元秀)
映画と変わらぬ姿の呉線本通跨道橋。車両は227系電車(撮影/武田元秀)

 2016年に公開された、片渕須直監督の長編アニメーション映画「この世界の片隅に」(こうの史代原作)は、累計210万人以上が鑑賞した、平成を代表する大ヒット作となった。背景には片渕監督が6年間の歳月をかけて膨大な資料にあたって作り上げた、太平洋戦争前後の広島・呉の風景が詳細に紡がれている。今回は、広島電鉄・広島駅・呉線・呉市電などの“鉄道シーン”を中心に、主人公・すずさんが暮らした風景をたどる。

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「この世界の片隅に」の主人公・浦野すずは、広島市近郊の江波(えば)に生まれた。

 いまの広島電鉄江波線は土橋~舟入本町間が1943年に開業したばかりで、すずさんが呉市の旧帝国海軍勤務の文官・北條周作の元へ嫁入りした44年2月には、まだ江波まで達していなかった。ただし、浦野一家が結婚式のために江波の実家から呉へ向かう途中で、横川橋を渡る路面電車の姿が背景に描かれている。

 江波電停に隣接する江波車庫には、1945年8月6日にアメリカ軍のB29爆撃機「エノラ・ゲイ」によって、広島市に投下された原子爆弾で被害を受けた「被爆電車」650形635号車と150形156号車が保管されている。

 635号車は2015年に当時の塗色に復元され「RCC&広島電鉄被爆電車運行プロジェクト」として、同年と翌16年に運行された。

 映画のオープニングでは、1933年12月、8歳のすずさんが江波から小さな帆掛け船に乗って、広島市中心部の中島本町へ海苔(のり)を届けに出掛けるシーンがある。中島本町は原爆で壊滅し、いまは広島平和記念公園になっている地域だ。

 江波地区東側の船着き場から「雁木(がんぎ)タクシー」というモーターボートで、すずさんと同じく水上から平和記念公園を目指す。

 雁木といえば、雪国では軒先のひさしを道路側に伸ばして連続させたアーケード状の歩道部分を意味する。しかし、広島周辺では、川や海に面した船着き場に階段状の護岸を並行して造り、潮の干満に対応させた施設をいう。雁木タクシーの船長も、「市内は干満の差が激しく、干潮時には江波の雁木にボートを着けるのは難しい」と話していた。

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「雁木タクシー」で川から見上げる広島市中心街