そんなテレビの世界に見事に適応して、「テレビ芸」の達人となった芸人たちは、自分にはちゃんとした芸が足りないのではないか、と感じるようになる。そこで改めて芸事の奥深さを知り、一から学び直したいという気持ちがわいてくるのだろう。
ビートたけしが芸にこだわるのは、浅草時代の師匠である深見千三郎の教えによるものだ。浅草のフランス座でたけしは深見からコントを学んだ。深見はタップダンスやギターなど数々の芸を持っていた。芸人は芸を持っていなければいけない、というのが彼の持論だった。
たけしもその教えを受けて、さまざまな芸を学ぼうとしていた。だが、その修業の途中で、たけしはビートきよしと漫才コンビを組み、漫才師として世に出てしまった。漫才を芸として認めていなかった深見は、たけしがその道に進んだことに失望していた。
その後、たけしはテレビの世界でスターになり、師匠が求めていた芸を極めるという生き方から外れてしまった。そこに心残りがあるからこそ、たけしは多忙な中でも新しい芸の探究に余念がない。タップダンスの練習を続けているのはもちろん、ピアノを弾いたり、絵を描いたりもしている。古典落語に挑んでいるのもその一環だ。
一方、最近では「伝統芸能の世界からテレビに進出する」という講談師の神田松之丞のようなケースもある。一般には馴染みの薄い講談の世界から出てきた松之丞は、いまやテレビやラジオに多数出演する売れっ子になっている。講談で磨いた彼の話術はメディアの世界に新風を吹き込んでいる。
芸人は人を笑わせたい生き物だ。そんな彼らは、貪欲に笑いを求めた末に「芸」に行き着く。テレビの芸人が芸を求める一方で、芸の道を行く者をテレビが求めていたりもする。もともと縁がないように見えた「テレビ」と「芸」の距離はじわじわと縮まっているのかもしれない。