トップが変わればチームは変わる。プロ野球の長く険しいペナントレースを戦う上で監督の存在は非常に大きい。そして栄冠に輝いた監督がいる一方、その逆に苦渋を味わった監督の方が多い。では、“平成のワースト監督”は一体、誰だったのか。今一度、12球団の「平成」(1989~2018年)を監督とともに振り返りたい。今回はパ・リーグ編。
■西武:田邊徳雄監督
平成30年の間に計11度のリーグ優勝を果たした西武。黄金時代を築いた森祇晶(1986~1994年)の途中に平成を迎え、その後は、東尾修(1995年~2001年)、伊原春樹(2002~2003年)、伊東勤(2004~2007年)、渡辺久信(2008~2013年)、伊原春樹(2014年)、田邊徳雄(2015~2016年)、辻発彦(2017年~)と続いた。
定期的に優勝を果たしてきたが、平成の後半に入ってからは好不調の波が激しく、低迷したシーズンも目立った。そして平成時代の監督7人の中で唯一、リーグ優勝を果たしていないのが田邊監督である。2014年の6月から監督代行としてチームを率い、同年5位に終わると、正式に監督に就任した翌年以降も4位、4位と優勝争いに加わることなくBクラスに沈んだ。当時から打線は破壊力を秘めていたが、投手陣が駒不足で、2015年は球団ワーストの13連敗を記録。守備も乱れ、投打を噛み合わせることができなかった。
■ソフトバンク:田淵幸一監督
平成元年に福岡に移転したホークス。杉浦忠(1986~1989年)、田淵幸一(1990~1992年)、根本陸夫(1993~1994年)、王貞治(1995~2008年)、秋山幸二(2009~2014年)、工藤公康(2015年~)と続いた中、王政権の途中から常勝軍団の地位を固めていったが、それ以前は暗黒期と言えるほど低迷していた。
特に田淵監督が率いた3年間は、6位、5位、4位と辛い時期を過ごした。就任1年目の1990年は、開幕からコーチ陣や外国人選手たちとの確執が取り沙汰された中で低空飛行を続けて4年ぶりの最下位。内容的にも散々で、チーム打率、本塁打、得点、失点、防御率とすべての項目でリーグ最下位。パ・リーグ全5球団に負け越し、「勝率.325」、「85敗」は2リーグ制以降の球団ワーストを記録した。2年目以降はトレードを積極活用しながら一つずつ順位を上げたが、日の目をみることなく解任。その後、他球団のコーチとして手腕を発揮する田淵氏だが、監督としては結果を残すことができなかった。