娘への思いで躍進を遂げた大須賀にもドラマがあったが、一方、並々ならぬ思いを持って決勝にのぞみ、涙を呑む形になったのが13年の「R-1」王者・三浦マイルドだった。
14年に拠点を大阪から東京に移したものの、所属の吉本興業から来る仕事は月に2~3回。あとは他事務所の芸人から声をかけてもらって出演するインディーズライブが週に2~3回という仕事状況が続いていた。
昨年、話を聞いた時には「多くの人が『三浦マイルドはもう終わっている』と感じていると思いますが、このままでは終われない」と本音をむき出しにしていた。当時は清掃のアルバイトをしていて、その収入が月に約10万円。吉本からの収入は数千円という状況だった。マネージャーから届いた月間スケジュールを見ると、全くの白紙ということも。「これは完全に戦力外ということ」と腹をくくった。
その状況を突き付けられ、変えられるところは全て変える。それくらいのことをしないと、もう道がない。覚悟を決めた。ネタのブラッシュアップはもちろんのこと、自分でできることは何でもやる。そこで始めたのがダイエットと育毛だった。
「皆さん、思うことは同じで『何を今さら』と思われるでしょうけど、努力で何とかなるかもしれない部分は何でもやろうと。始めて1年ほどで産毛が生えてきました。ま、普通に考えたら、まだまだハゲていると思うんですけど、自分の中では10年分くらいは若返った気がしています(笑)。そして、体重も10キロほど痩せました。やれば変わる。この感覚はいろいろなところに生きていると感じています」
その思いを持ってのぞんだ大会だったが、返り咲き優勝はならなかった。しかし、大会前に聞いた言葉にはたっぷりと熱いものが込められていた。
「『R-1』を取っても売れないという人もいますけど、それを言われていること、言わせていることの責任は僕にもある。『R-1』には恩義しかないですし、僕みたいなろくでもない人間が唯一させてもらった親孝行が優勝でした。だからこそ、恩返しするには売れるしかない。そのためにできることは何でもやらないとダメなんです」
優勝できるのはたった一人。これは厳然たる事実。そして、出場者一人一人にそれぞれのストーリーがある。これもまた事実である。(芸能記者・中西正男)