■PHS「ピッチ」

 端末も通話料金も高額な携帯電話に対して、1995年に「PHS」(Personal Handyphone System)と呼ばれるサービスが開始されました。軽くて小さく電池が長持ちし、価格も安かったため、高校生はむしろPHS、愛称「ピッチ」に群がったのを覚えています。

 PHSははじめからデジタル方式で通話の音質も良く、また32Kbps(32000bps、携帯電話の3倍)の通信速度を実現していたため、都市部ではビジネスユーザーが出先でネットワークに接続するなどの用途にも利用されてきました。

 しかし、エリアが狭かった問題、携帯電話の進歩が急速だったこともあり、2008年にドコモはサービスを終了、25年間でその歴史に幕を閉じます(ソフトバンクなどは2年まで)。日本においては、PHSが競合として存在していたことが、携帯電話の低価格化、高性能化の速度を一挙に高め、また、世界的に影響を与えるサービスを生み出すきっかけとなりました。

■iモードの登場

 1999年に、NTTドコモは携帯電話のデータ通信を用いた情報サービス「iモード」を発表しました。これによって、モバイル通信を用いたコンテンツビジネス、コミュニケーションが一変していったのです。

 iモードは、携帯電話に最適化されたウェブやアプリ、ゲームや着信音のダウンロード、またメールなどのコミュニケーションサービスを提供することで、携帯電話の使い方を全く異なるものへと変えていきました。

 月額100円程度から利用できる情報サービスやゲームが登場し、また音楽のダウンロードも利用できるようになりました。

 何より強みだったのは、携帯電話はパソコンの一家に一台と違い、一人一台へと普及していったことです。そこでのコンテンツサービスを展開したことで、2007年までの8年間で、ゼロから出発した市場は約5000億円にまで発展しました。

 実はiモードは、テクノロジービジネスの本拠地である米国・シリコンバレーでも注目されるビジネスモデルでした。

 四半期ごとに100億ドルを売り上げる世界最大規模のモバイルアプリストアを擁するAppleや、世界で20億台が稼動するAndroid向けのアプリストアを運営するGoogleは、日本でiモードなどのケータイコンテンツビジネスを手がけていた人材を登用してきた経緯からもわかります。

 シリコンバレーで取材を続けてきた筆者からすると、ケータイ世代であるという贔屓目を取り除いても、日本のケータイの発展がなければ、現在の世界的なスマートフォンの発展も難しかったのではないか、と考える理由です。


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歴史は繰り返す?