1992年(平成4年)2月、AF一眼レフカメラが並べられた東京都内のカメラ店(c)朝日新聞社
1992年(平成4年)2月、AF一眼レフカメラが並べられた東京都内のカメラ店(c)朝日新聞社
この記事の写真をすべて見る
キヤノン EOS-1。キヤノンのフラッグシップフィルムカメラの系譜は、EOS-1、EOS-1N、EOS-1Vと続き、2018年、ついに終焉の時を迎えた
キヤノン EOS-1。キヤノンのフラッグシップフィルムカメラの系譜は、EOS-1、EOS-1N、EOS-1Vと続き、2018年、ついに終焉の時を迎えた
オリンパス L-1。このフォルムを見てデジタルカメラだと思っちゃう人も多いだろう。実際CAMEDIAE-10など、よく似たデザインのデジカメも登場した
オリンパス L-1。このフォルムを見てデジタルカメラだと思っちゃう人も多いだろう。実際CAMEDIAE-10など、よく似たデザインのデジカメも登場した
コニカ BiG mini。写真家・HIROMIXが作品制作に使用したことで有名に。ヒット商品となりシリーズ化された。写真のものは2代目のBM-201(1990年)
コニカ BiG mini。写真家・HIROMIXが作品制作に使用したことで有名に。ヒット商品となりシリーズ化された。写真のものは2代目のBM-201(1990年)
カシオQV-10。撮った画像を背面液晶ですぐ確認でき、パソコンにとり込んで保存するという、いまでは当たり前のことを低価格で実現
カシオQV-10。撮った画像を背面液晶ですぐ確認でき、パソコンにとり込んで保存するという、いまでは当たり前のことを低価格で実現

 間もなく「平成」が終わりを迎える。振り返ってみるとカメラの世界にとってこの30年間は、まさに激動の時代であった。「アサヒカメラ」では短期集中連載として「カメラの平成30年史」を掲載している。この機会に、平成におけるカメラ発展の跡をたどってみよう。

【写真】平成初期に発売された名機はこれだ!

*  *  *

 1985(昭和60)年のミノルタα-7000の登場をきっかけに、一眼レフのAF化が進んだが、平成前夜の88年にはそれが新たな段階に突入した。ニコンF4の登場だ。それまで中級一眼レフを中心に進歩してきた一眼レフの自動化、具体的にはAF、自動巻き上げ、自動巻き戻しの導入がフラッグシップ機にまで及んだのである。そして平成に入ってからはキヤノンEOS-1(89年)が登場した。それまでのフラッグシップ機はドラム型のフォーカルプレーンシャッターを備えるのが普通であったのだが、このあたりからスクエア型のフォーカルプレーンシャッターに代わっている。その背景にはスクエア型の信頼性向上と、ドラム型では実現できない1/4000秒、1/8000秒といった高速化の流れがあるだろう。この流れはミノルタα-9xi(92年)の1/1万2000秒まで発展する。

 この時期の一眼レフの技術開発は、主としてオートフォーカスの性能向上に向けられた。動体予測AFは、すでにミノルタα7700i(88年)やニコンF4で実現されていたが、さらにキヤノンEOS-1ではクロスポイントAFが搭載された。また、AF一眼レフのフォーカスポイントの多点化が始まる。キヤノンEOS10(90年)で3点となり、続くEOS-5(92年)では5点、となって、ファインダーをのぞく撮影者の瞳を検出して視線の方向にあるフォーカスポイントを選択する「視線入力AF」の機能も搭載された。

 一眼レフのAF化でユニークな存在は京セラコンタックスAX(96年)だ。レンズマウントが固定された外殻の中にフィルムを保持するボディーを設け、これを動かしてバックフォーカスによるオートフォーカスを実現した。交換レンズ側に何ら改造を加えることなくAFが実現できるわけだが、カメラボディーがそのぶん大型化してしまった。

■ブリッジカメラの登場

 レンズ交換のできないコンパクトカメラでも画角の変化を楽しみたいという要望は当然あり、それに応えるものとして、80年代半ばごろから2焦点切り替えのカメラが登場した。リアコンバーターを挿入したり、ミラーで光路を切り替えたりといろいろな手段でワイドとテレの画角を切り替えて使えるようにしたものだが、これがズームレンズを固定する形式に発展したのは、ペンタックスズーム70(86年)からのこと。他社も追随してコンパクトカメラはズームレンズ固定へと舵を切ることになるのだが、レンズのズーム比、明るさと大きさのバランスが難題であった。当時の主流が35ミリ判フルサイズであったこともあり、どうしてもレンズが大型化してしまうのだ。

 そこで、カメラ全体の形状を考え直し、比較的高倍率(といっても、3~4倍程度だが)であまり暗くならないズームレンズを基本にして、ボディー形状を再構成したような新たなジャンルのカメラが生まれた。このようなカメラを「ニューコンセプトカメラ」とか「ブリッジカメラ」と呼んでいる。「ブリッジカメラ」というのは、コンパクトカメラと一眼レフの中間で、両者の橋渡しをするようなカメラという意味合いだ。

 ブリッジカメラのルーツは、京セラサムライ3.0(87年)や平成前夜のオリンパスIZM300(88年)、リコーMIRAI(同)にさかのぼる。平成に入ってからはキヤノンオートボーイジェット(90年)、ミノルタAPEX105(同)、オリンパスL-1(同)などが続いた。ブリッジカメラといっても、形式はさまざまである。京セラのサムライシリーズはハーフ判のレンズシャッター一眼レフで、ムービーカメラのような縦型のスタイル。その一方でキヤノンオートボーイジェットやミノルタAPEX105は透視ファインダーのレンズシャッター機である。リコーMIRAIやオリンパスL-1はフォーカルプレーンシャッターの一眼レフにズームレンズを固定したような形式だ。

 このようにさまざまなメーカーがブリッジカメラの形でズームレンズを固定したカメラを出し、その中のいくつかは後継機に発展したが、そのうち一般的な形状のコンパクトカメラにもそこそこの倍率のズームレンズが装着されるようになり、だんだんとその存在意義を失った。中でオリンパスのLシリーズだけはL-5(2002年)に至るまで、息の長いシリーズとなったのである。

次のページ
カメラの大型化が…