■デジタルカメラへの胎動

 フィルムの代わりに撮像素子を用いて、電気的に画像を記録するカメラは、スチルビデオシステムとしていくつかのメーカーが製品化したが、ユーザーに受け入れられず鳴かず飛ばずの状況であった。スチルビデオカメラは動画のビデオ規格に準じた画像をフロッピーディスクにアナログ記録するもので、画質の不足が致命的であった。デジタル記録にすれば画質の改善が図れるだろうということで、88年のフォトキナでデジタルカメラの試作機フジックスDS-1P(富士写真フイルム)が発表された。これは発売には至らなかったが、翌89年にはフジックスDS-Xが初めての市販デジタルカメラとして世に出た。市販ベースで考えるとデジタルカメラは平成とともに生まれたわけだ。

 その後、ほかのメーカーもこれにならって散発的ではあるが、デジタルカメラを世に問うようになった。しかし、問題は撮像素子だ。当時は動画のビデオカメラ用のCCDしか手に入らなかったのだが、たかだか40万画素で静止画のプリントを作るには画素数が不足した。しかしまだ市場が不透明な状況では半導体メーカーも静止画専用の高画素数の撮像素子を作ってくれない。走査線が多いPAL規格(ヨーロッパ規格)用の撮像素子を用いたりして工夫をするが、それでも画素数が不足する。そのため売れ行きが芳しくないという、悪循環が生じた。

 そんな状況の中でコダックは自社で130万画素のCCD撮像素子を開発し、これをニコンF3のボディーに組み込んだDCS(91年)を出したが、半導体としてはごく少量生産のため、かなりのコスト高となった。ただ、この時期で注目されるのは、アップルコンピュータ(現アップル)がQuickTake100(94年)というデジタルカメラを出したことである。デジタルカメラをパソコンの周辺機器ととらえたものだが、時期尚早であった。

 このような悪循環を断ち切ったのが、カシオQV-10(95年)の登場である。このデジタルカメラが思いがけなくヒット商品になったのだ。ヒットした要因は6万5千円と価格を当時としては低めに抑えたこともあるが、むしろ液晶モニターを内蔵したことが大きいだろう。25万画素のCCD撮像素子を用いているが、記録画素数はいわゆるQVGA、つまり320×240ピクセルにすぎない。それでもユーザーに受け入れられたのは、プリントに頼らない新たな写真によるコミュニケーション文化を提唱したためである。撮影した画像をすぐにモニターに表示し、それを見せ合いながら楽しむというものだ。

 このQV-10の成功はデジタルカメラの大きな可能性を世に示した。それを受けてリコー、オリンパス、キヤノン、富士写真フイルムなどのメーカーも続々と同様のコンセプトのデジタルカメラを発売し、さらに半導体メーカーも本気で静止画用の撮像素子開発に取り組むようになった。

■次なる技術の萌芽

 この平成の初めの10年間に、その後花開いてカメラに変革をもたらす技術の予兆ともいえるカメラが誕生している。そのひとつはニコンズーム700VR(94年)だ。一般用のスチルカメラとして初めて手ブレ補正を組み込んだ。フィルムカメラなので撮像面を動かすわけにはいかず、当然レンズ内手ブレ補正である。もうひとつはコニカランドマスター(96年)だ。工事記録用のコンパクトカメラ「コニカ現場監督」にGPSによる位置情報記録を組み込んだものだが、こちらのほうはカメラボディーを囲むようにGPSのアンテナや回路が設けられ、とても一般用とはいえない。現在では当たり前のようにカメラに組み込まれている機能が、この2機種から出発したことになる。

 また、インスタントカメラの分野ではフジインスタックスミニ10(98年)が登場した。それまでのインスタントカメラに比べて画面サイズを小型化し、そのぶん手軽に使えるようにしたものだ。これも紆余曲折を経ながら、現在にいたるまで命脈を保っている。 そして平成の次なる10年がスタートしたときに、カメラの世界を大きく変えた機種が登場している。その話は次号に記すことにしよう。

(文/豊田堅二)

※「アサヒカメラ」2019年1月号から

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