「自分自身が色んな苦労をされて、人の痛みも分かる方。でも、そういったことはお顔に出さないで、明るく振る舞っているところも人間として素晴らしいなと思っていました。面と向かって言うのは恥ずかしいので、申し上げたことはなかったですが……」
飯島さんが「週刊朝日」で連載していた2000年代初めのこと。編集を担当していたライター福光恵は、テレビ局の楽屋で原稿の打ち合わせをした帰り、飯島さんに誘われて、假屋崎さんが開いた花の展覧会を一緒に見に行ったことがある。
「目黒雅叙園」(東京都目黒区。現・ホテル雅叙園東京)にある東京都の「百段階段」を利用しておこなわれたその展覧会は、映画「千と千尋の神隠し」のモデルともいわれる歴史ある建物と、假屋崎さんの手から生まれた艶やかな花たちが競演する、美しい世界だった。 作品の前にまっすぐ立って、一つひとつの作品を長い時間かけて見ていた飯島さんの姿も、まるで作品の一部になったかのように美しかった。
そんな飯島さんが、芸能界を突如引退したのは2007年春。翌年12月24日に訃報の知らせを受けたとき、假屋崎さんは仕事でパリのペール・ラシェーズ墓地にいた。「墓地で知るなんて、なんだか不思議ですね……」と、飯島さんの死をいまだに正面から受け入れられない。
金スマの忘年会や新年会ではいまでも飯島さんの写真が飾られ、まるで一緒にご飯を食べているような気がしているという。
「金スマを卒業された方はたくさんいるけれど、こんなに心に残っているのは愛ちゃんだけだと思います。そのくらい存在感のある方です。思い出の中でも、ずっと笑顔のまま残っている人。もう10年も経ってしまって、こっちは還暦だというのに、愛ちゃんだけずるいな。若すぎますね。本当に若すぎるね……」
果たせなかった約束
「いいんじゃない? ってよく言っていました。口癖なのかな」
飯島さんの言葉で印象深かったことを尋ねると、真っ先に出てきたのがこの言葉だった。