森脇和成(もりわき・かずなり)/1974年8月1日生まれ、広島県出身。1994年に有吉弘行さんと猿岩石結成。「進め!電波少年」のユーラシア大陸横断ヒッチハイクの旅で、全国デビュー。ヒット曲「白い雲のように」はミリオンセラー。芸能界引退後は、実業家、会社員を経験し、2015年より役者として活動開始(撮影/新津勇樹)
森脇和成(もりわき・かずなり)/1974年8月1日生まれ、広島県出身。1994年に有吉弘行さんと猿岩石結成。「進め!電波少年」のユーラシア大陸横断ヒッチハイクの旅で、全国デビュー。ヒット曲「白い雲のように」はミリオンセラー。芸能界引退後は、実業家、会社員を経験し、2015年より役者として活動開始(撮影/新津勇樹)
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猿岩石として活動していた時代の有吉弘行と森脇和成=1997年撮影 (c)朝日新聞社
猿岩石として活動していた時代の有吉弘行と森脇和成=1997年撮影 (c)朝日新聞社

■「しくじり先生」など3年前に一時露出が増えた

【画像】若い!“猿岩石”時代の有吉弘行と森脇和成

一時は「そろそろブームは終わり」と囁かれたこともあったが、いまだに多くの冠番組・レギュラーを持ち、相変わらずの活躍ぶりを見せる有吉弘行(44)。10月からはテレビ東京系でゲームバラエティー番組「有吉ぃぃeeeee!そうだ!今からお前んチでゲームしない?」が新たにスタートし、人気が衰えないばかりかさらに出番が増えている状況だ。

 ところで、先日の「マツコ&有吉 かりそめ天国」(テレビ朝日系/11月28日放送)で、有吉は、自身がかつてお笑いコンビ・猿岩石として「進め!電波少年」(日本テレビ系)でヒッチハイクをしていたイメージを知らない世代が出現していることに言及していた。そう、有吉といえば、地元の幼なじみであり元相方の森脇和成(44)とお笑いコンビ猿岩石として活動していたのだ。この元相方の森脇の存在を覚えている人は、どれほどいるだろうか。猿岩石は2004年に解散したが、森脇はその後、実業家に転身したことは割と知られた話だろう。

「猿岩石の解散後、森脇さんはサパークラブの経営など、さまざまな事業を手がけていたんですが、当時は芸能界を引退したわけではなく、トーク番組にもちょこちょこ出演していました。周囲にすすめられるがまま、いろんな事業を展開したので、さほどうまくいかなかったことはTV番組で公言していますよね。その後、結婚して子どもができたことでサラリーマンに転身し、テレビ出演もめっきりなくなりました」(民放バラエティー制作スタッフ)

 のちに出演したテレビ番組で告白していたところによると、その後、妻との離婚などを経験し、2015年ごろから知人のすすめで芸能活動を復活させているようだ。

「2015年以降、『ヨソで言わんとい亭~ここだけの話が聞ける(秘)料亭~』(テレビ東京系)や『しくじり先生 俺みたいになるな!! 』(テレビ朝日系)などに相次いで出演して過去の話や事業での失敗談などを披露し、一時的にテレビ出演が増えていました。さすがに経験してきた内容が壮絶だったのでトークも弾み、その後の『ライオンのごきげんよう 』(フジテレビ系)や『さんま御殿』(日本テレビ系)などにも呼ばれていました。そのころ、元相方と飲みに行ったことが、有吉さんのツイッターで報告されています」(前出の民放バラエティー制作スタッフ)

 再び世間のその活動が認知された森脇。「しくじり先生」出演時には、当時、サラリーマンとして勤めていた会社に辞表を提出し、芸能活動を再開したことを発表していた。そして今、彼はどういう活動をしているのか。

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YouTuberとして活動…劇団で演出も担当