日本人の2人に1人ががんにかかり、3人に1人ががんで死亡する時代、がんは私たちの身近に存在している。それでも多くの人は「自分だけはがんにならない」という思いで日々の暮らしを営んでいるのだはないだろうか。定年まで勤め上げた会社を引退後、これから第二の人生を楽しもうとした矢先に白血病の告知受けたジャーナリスト。働き盛りの20代にがん宣告を受け恋人とともに途方に暮れた若き記者。がんに対する向き合い方、病との戦い方、医者・病院との付き合い、家族の支え、そして再発の恐怖……。「がんはあきらめてはいけない」というメッセージを届けたいと、世代を超えた二人のがんサバイバーが語り合った――。
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■「告知」
粕谷卓志:上野さんとは、2000年ごろ、がんの治療が一段落したときに初めて会いましたね。がん患者としては私よりだいぶ先輩です。病気の初めのころのことを改めて聞きたいのだけれど、告知されたのは、いくつのときで、どんな経過でした?
上野創:粕谷さんに会ったのは30代になったときでしたが、告知は26歳です。長野支局から横浜支局に異動し、記者として取材に駆けずり回っていた頃でした。左の睾丸が腫れていることに気づき、1997年の秋に近くの開業医で診てもらったところ、すぐに大きな病院に行きなさいと言われました。紹介先の大学病院で精巣腫瘍を告知されました。すでに肺に転移していて、睾丸を切除する手術と転移したがんを叩くために抗がん剤治療をしましたが、退院半年後に再発。再び肺の手術と抗がん剤治療をして職場復帰もできたのですが、翌年の春に二度目の再発をしてまた肺の手術と抗がん剤治療をしました。結局3年間入退院を繰り返したことになります。幸いその後の再発はなく、現在は年一回血液検査(腫瘍マーカー)をして経過観察を続けています。2000年が最後の治療ですから、もう18年になります。粕谷さんが急性リンパ性白血病を発症したのは、昨年ですよね。