プロ野球はストーブリーグに突入した。FA移籍も気になるところだが、シーズンオフとなり、プロ野球がない日々に寂しい思いをしている方も少なくないだろう。そこで、今回は「プロ野球B級ニュース事件簿」シリーズ(日刊スポーツ出版)の著者であるライターの久保田龍雄氏に、“暴れん坊助っ人”が巻き起こした珍事件を振り返ってもらった。
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外国人選手が暴力行為で退場になるケースは数あれど、前代未聞の2日連続退場処分を受けたのが、1995年から2年間日本ハムでプレーしたデューシー。
第1ラウンドは、95年9月16日のダイエー戦(東京ドーム)。1回、先頭打者のデューシーは左越え二塁打を放ち、広瀬哲朗の遊ゴロの間に三塁へ。
次打者・片岡篤史は一ゴロ。本塁は間に合わないと判断した藤本博史が一塁に送球したにもかかわらず、デューシーは猛然と本塁に突っ込み、勢い余って捕手・坊西浩嗣を押し倒してしまった。
このラフプレーに激怒したのがダイエーのライマー。前年7月13日のオリックス戦では、長谷川滋利に死球を受けたことに怒り、暴行退場になった“瞬間湯沸かし器”である。ベンチを飛び出すと、「坊西の仇!」とばかりに殴りかかった。カナダ出身同士の両助っ人の乱闘で試合は5分間中断し、ともに退場となった。
ここまでだったら「喧嘩両成敗」で終わっていたのだが、翌17日にも第2ラウンドが勃発する。
1回、藤井将雄から死球を受けたデューシーは、坊西が前日の報復で故意にぶつけさせたと思い込み、振り向きざまに右フックをさく裂させた。
たちまち両軍ナインが飛び出し、押し合いへし合いの乱闘に。主犯のデューシーは2日連続の退場処分となった。
だが、上田利治監督は「あの死球は(狙ったのが)見え見え。あれぐらいやられたら、怒るのも当然」と行動を支持。これに対し、王貞治監督も「(前日のラフプレー)あれは意図的。種を蒔いたのは彼なんだから」と非難し、監督同士の舌戦に発展した。
試合はダイエーが3対1で勝ち、王監督にとって通算400勝目になったが、「400勝?まあ、やっていけば何とかなる数字だから、どうってことはない」と連日の乱闘騒ぎに喜びも半減だった。