10月27日、メンフィス・グリズリーズと2ウェイ契約を結んだ渡邊雄太がNBAデビューを飾ったことは、日本バスケットボール史に残る嬉しいニュースになった。この日、本拠地メンフィスでのフェニックス・サンズ戦で渡邊は2得点、2リバウンド。世界最高の舞台を目指して高校卒業後にアメリカに渡った俊才は、24歳にして生涯の夢を叶えてみせた。
試合後、渡邊は「出場しただけでは満足していない」と語り、今後のさらなる活躍を誓っている。アメリカで堂々と躍動するそんな姿を見て、勇気付けられたバスケットボール選手は日本にも多かったのではないか。
NBAに到達することの難しさは、ほとんどのスポーツファンには今更説明する必要もないだろう。全世界で4億5000万人の競技者人口を誇るとされるバスケットボールにおいて、文字通り最高峰のリーグがNBA。ゲーム時にベンチ入りを許されるのは1チーム13人のみ。毎年のドラフトで指名されるのも30チーム×2巡指名=60人だけと、このリーグの希少価値は明白だ。
ハイレベルでのサイズ、身体能力の融合がモノを言うバスケットボールは、一般的に日本人向きの競技ではないと目されてきた。渡邊が現れるまで、NBAに辿り着いた日本人選手は2004年にサンズの一員としてプレーした田臥勇太のみ。数年前まで、第2、3号の誕生には悲観的な関係者も少なくなかった。
カレッジ時代の渡邊はNCAA1部のジョージ・ワシントン大学でプレーし、4年生時はエースとして活躍した。それでも、NBA入りが常に有力視されてきたわけではない。筆者はカレッジ時代の4年間でかなりの数のジョージ・ワシントン大のゲームを取材したが、その過程で、日本人、アメリカ人を問わず、NBAに詳しい関係者から「NBAは厳しい」「あれくらいはアメリカにいくらでもいる」といった意見も何度となく聞かされた。
「カレッジの中の本当に上の選手しかNBAには来られない。プレーのレベル、試合中の賢さ、体の強さ、そのすべてにおいてカレッジとはレベルが違うなと感じます」
グリズリーズでプレーを始めた後に渡邊本人が述べていた通り、NBAはまさに別次元の場所なのである。