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10月24日、臨時国会が開幕した。安倍晋三総理の所信表明演説は、ほとんどニュースにする価値がない内容だったが、あえて注目すべき点を挙げれば、これまで施政方針や所信表明の演説の最後に言及される慣わしになっている憲法改正について、今回は、過去に比べて、明らかに分量が多く前のめりになっていたことだろう。
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その中で、安倍総理は、「制定から70年以上を経た今、国民の皆様と共に議論を深め、私たち国会議員の責任を、共に、果たしていこうではありませんか」と、憲法9条などの具体的内容には入らずに、70年経ったから、それを変えるのが国会議員の責任だという論理で改憲を主張した。
「70年改正がなかったから時代遅れ。したがって改正すべき」という主張は、改正の内容に入らずに、改憲を正当化する自民党改憲派お得意の論理展開だ。
下村博文自民党憲法改正推進本部長も、毎日新聞のインタビューで、「七十数年間、一度も改正されなかったことがどういう意味を持つのか、この際考えてみてはどうだろうか。今の憲法が絶対的なものなのか。時代の変化に対応して変えなければならない部分もあるのではないか」と同じ論理で改憲論を展開している(10月23日付)。
内容に入らずに改憲の必要性を主張する論理としては、もう一つ、「アメリカに押し付けられたものだから変えるべき」というものがある。
この二つの論理がセットで使われるとこのようになる。
「今の憲法は、アメリカに押し付けられたものだから日本人の憲法とは言えない。しかも70年以上前の古いものだから今日の情勢には適合していない。したがって、変えるのは当然だ」
このように言うことで、内容の議論の前に、改憲が当たり前だという先入観を植え付ける作戦である。改憲の議論は、ともすれば、難しくなりやすい。一般の国民は、日常生活のことなら関心を持って話を聞くが、直接生活に関わらなければ、具体的な細かい議論にはついてこられない。そう考えているのだろう。