フイっと向こうを向いて、

「そう?」

 と一言だけ呟いた後ろ姿からわずかに見える頬は、緩んでいるように見えたような。

 一方、水に墨を落としたように私の胸に広がったのは、後悔の念。私は6年間、どれだけ彼の成長を見逃してきたんだろう。子が持つ本来の力を信じるなんて、親にしかできないことなのに。

 人一倍時間はかかっても着実に地に根を伸ばしていることを、目に見えないからと信じてやらずに、枝葉が伸びない花が咲かないとどれだけ嘆いてきただろう。小手先の剪定をしたり抜かなくていいところを間引いてしまったり、母の自己満足でどれだけ彼の伸びしろを奪ってきただろう。

 母が勝手に気を揉んでいる間に本人はちゃんと成長していたんだなぁ。むしろ私が不安というネットを被せて守っている(邪魔をしている)中、彼はその隙間をぬってスーッとしなやかな茎を伸ばしていたような、さながら泥の中から清らかな花を咲かせる蓮のごときたくましさを見せられたわけです。

 さて、ここまで読んだ方の多くが既にお気づきかと思いますが、私自身も発達特性の特徴を自覚しており、長男にもその懸念が強いことは幼少期から気づいていました。

 ずっと頭の片隅にあった「発達障がい」の文字。検索魔にもなり、白黒つけたほうが生きやすくなるのでは、とたびたび親子で発達検査をするべきかも悩んできました。きっと検査をしたら何かしらの診断は出るのでしょう。あるいはグレー判定で余計にモヤモヤするかもしれません。実際、本人もまわりの人たちも何が知りたいのかを考えると、症状の名前というよりは日々の困りごとへの的確な理由や改善策なのですよね。

 わが家としては長男の卒業を機にひとまず、発達障がいかどうかをいちいち気にするのをやめようと心に決めました(もちろん特性の種類によっては診断を受け投薬治療などで改善する方もいるので、検査を否定するものではありません)。

 長男の主体的な成長を目の当たりにしたからというのもありますが、実は少し前にABA(応用行動分析学)という手法を知ったことも大きな理由です。

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