ーーえ? そこまで心配している母親が、間違っているんですか?
高橋氏:ええ。だって全部がお母さんのせいなわけ、ないじゃないですか。
ーーああ、それはそうですけど……。
高橋氏:お母さんは、驚くほどいろいろな理由で悩んでいます。妊娠中にあんなことをしたからじゃないか、あるいは妊娠を知ったときに、「あ、しまった」と一瞬、後悔してしまった、そのせいでばちが当たったんだ、とか。
ーーああ、確かに私も「この子が小さいとき、階段から落ちて頭を打ったのがいけなかったのかも」と思いました。
高橋氏:そうそう。落ちたのは子どものせいなんですよ。もちろん発達障害の原因も頭部打撲ではない。でも、自分のせいだと感じるでしょ。そこが母性の素晴らしいところだと思うんですけど、逆に母性の非常に切ない部分でもあるんです。母性がすごいのは、一言で言えば「最終責任を負う」という意気込みです。いいことは「よかったね!」と子どもを褒める。でも悪いことは「自分のせいだ」と……。
でも、まずその肩の荷を下ろさないといけない。なぜなら、発達障害と分かったなら、これからは、より客観的にお子さんの「できること」と「できないこと」を見極めていかなければならないからです。
父親というのは概していろいろ調べるもので、「慌ててもしょうがない」と考える人も多いんです。自分の子どものことといっても、どこか冷静に見ているところがある。そのときに、全てを背負おうとする母親と意見がずれるのは、ある意味当然です。もちろん、母性豊かな男性、父性豊かな女性もいるので、母親だからこう、父親はこう、という決めつけはできません。一般論としてこういった構図があるんです。
ただ、両親の意見がぴったり一致してなきゃいけないかというと、そうではないんです。
ーー違っていいんですね。
高橋氏:両親の言うことがぴったり一致していたら、子どもは逃げ場を失ってしまいます。両親の意見の隙間が、子どもの逃げ場をつくることにもなる。だから両親の意見が違うのは決して悪いことではないんですよ。
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