阿倍野橋停留所で発車を待つ4系統大阪駅前行きの大阪市電。画面右側は天王寺公園の杜で、画面左側の手前から続く安全地帯からは1・3・4・11系統の市電が頻繁に発着していた。(撮影/諸河久:1964年8月4日)
阿倍野橋停留所で発車を待つ4系統大阪駅前行きの大阪市電。画面右側は天王寺公園の杜で、画面左側の手前から続く安全地帯からは1・3・4・11系統の市電が頻繁に発着していた。(撮影/諸河久:1964年8月4日)

 1960年代、都民の足であった「都電」を撮り続けた鉄道写真家の諸河久さんに、貴重な写真とともに当時を振り返ってもらう連載「路面電車がみつめた50年前のTOKYO」。夏の季節にちなんだ「路面電車 夏の足跡」の第六回目。夏の太陽が輝く都会の街角を一陣の涼風のように走り去った路面電車たち。各地に残した足跡を夏の風情と共に回顧したい。今回は商都・大阪の夏を彩った大阪市交通局(以下大阪市電)と南海電気鉄道上町・平野線(現・阪堺電気軌道)の路面電車だ。

【昭和の阿倍野筋商店街を走る路面電車など、50年以上前の貴重な写真はこちら】

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 夏の朝の気だるい大気の中、左側の安全地帯で列をなしていたのは国鉄天王寺駅などから市電で難波駅前方面の市中に向かう通勤客。

 冒頭の写真は大阪市電天王寺阿倍野線の阿倍野橋停留所で発車を待つ4系統大阪駅前行きの大阪市電だ。撮影は1964年8月。東京ではまもなく東京五輪が開かれるときで、大阪も高度経済成長期の真っ只中だった。

巨大ターミナル天王寺駅前を発着した大阪市電

 大阪市電は1903年に開業した日本で最初の公営電気鉄道。軌間は1435mm、電車線電圧は600Vで、最盛期には約118000mの営業距離を誇る東京都電に次ぐ日本第二位の路面電車だった。1960年代に入ると、増大するモータリゼーションの波にのまれて路線縮小が始まり、1969年3月に全線が廃止された。

 筆者が天王寺界隈を訪れた1964年には、大阪市電の営業距離は93300mに減少していたが、かつて大阪市内の主要駅を経由する主要循環系統だった4系統の阿倍野橋~大阪駅前が健在だった。

 この4系統は循環系統だった時代には4乙系統と呼ばれており、阿倍野橋を発車すると天王寺西門前~上本町六丁目~京阪東口~北浜二丁目~淀屋橋~梅田新道を経由して大阪駅前を結んでいた。天王寺車庫が所轄する4系統は市内の主要な目抜き通りを走るドル箱路線で、大阪市電を代表する大型車や大阪版PCC車と呼ばれた3001型が充当されていた。

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諸河久

諸河久

諸河 久(もろかわ・ひさし)/1947年生まれ。東京都出身。カメラマン。日本大学経済学部、東京写真専門学院(現・東京ビジュアルアーツ)卒業。鉄道雑誌のスタッフを経てフリーカメラマンに。「諸河 久フォト・オフィス」を主宰。公益社団法人「日本写真家協会」会員、「桜門鉄遊会」代表幹事。著書に「オリエント・エクスプレス」(保育社)、「都電の消えた街」(大正出版)「モノクロームの東京都電」(イカロス出版)など。「AERA dot.」での連載のなかから筆者が厳選して1冊にまとめた書籍路面電車がみつめた50年 写真で振り返る東京風情(天夢人)が絶賛発売中。

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