残暑の中、前窓をいっぱいに開けて終点日比谷公園にラストスパートする25系統の都電。帝劇前は入場を待つ人々で賑わっていた。馬場先門~日比谷公園 (撮影/諸河久:1963年8月18日)
残暑の中、前窓をいっぱいに開けて終点日比谷公園にラストスパートする25系統の都電。帝劇前は入場を待つ人々で賑わっていた。馬場先門~日比谷公園 (撮影/諸河久:1963年8月18日)

「西欧に追いつけ、追い越せ」の国是に沿って、日本初の西洋式演劇劇場が計画され、今年の大河ドラマ「青天を衝け」の主人公・渋沢栄一らの肝いりで建設されたのが「帝国劇場」で、1911年に建築家横川民輔の設計で竣工している。外壁に白色の装飾煉瓦を使った白亜の外観は、芸術文化の街「日比谷」を象徴するランドマークとなった。

 いっぽう、北側に隣接する「東京會舘」本館は、民間初の社交場として建築家田辺淳吉の設計により1922年に竣工。開業当初から本格的なフランス料理を提供した。往時は「帝劇で観劇後に東京會舘で会食」がトレンドとなっていた。

 1923年9月1日に発生した関東大震災後の火災で帝国劇場は内部を全焼、東京會舘も二階部分を損壊の被害を受けた。帝国劇場は設計者の横川民輔の指導で改修工事を進捗して、翌1924年には営業を再開している。いっぽう、東京會舘が施設を復旧して営業を再開したのは1927年だった。

 19年後の1982年に定点撮影したのが次のカットだ。白亜の殿堂として親しまれた「帝国劇場」は1966年に地上9階建ての帝劇ビルに生まれ変わった。最上階の9階には日本の石油王・出光佐三コレクションを展示する出光美術館(東京館)がある。

 隣接する「東京會舘」も1971年に建替えられ、堀端の景観は大変革を遂げた。さらに2019年1月に三代目となる「東京會舘」新本館が開業し、皇居を望む複合施設として新たな歴史を刻み始めた。ちなみに、日比谷通りを走る都電・神田橋線は1968年3月に廃止され、内堀端を走る姿は憧憬となった。

 最後のカットが「帝国劇場」のまん前を走る25系統日比谷公園行きの都電。この時代の帝劇はロードショウ映画封切館で1963年7月に公開された「チコと鮫(フォルコ・クィリチ監督)」を上映中だった。入場を待つ観客が炎天の帝劇前に列をなしていたことが印象に残っている。

■撮影:1963年8月18日

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諸河久

諸河久

諸河 久(もろかわ・ひさし)/1947年生まれ。東京都出身。カメラマン。日本大学経済学部、東京写真専門学院(現・東京ビジュアルアーツ)卒業。鉄道雑誌のスタッフを経てフリーカメラマンに。「諸河 久フォト・オフィス」を主宰。公益社団法人「日本写真家協会」会員、「桜門鉄遊会」代表幹事。著書に「オリエント・エクスプレス」(保育社)、「都電の消えた街」(大正出版)「モノクロームの東京都電」(イカロス出版)など。「AERA dot.」での連載のなかから筆者が厳選して1冊にまとめた書籍路面電車がみつめた50年 写真で振り返る東京風情(天夢人)が絶賛発売中。

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