みなと大通りの街路樹と「キングの塔」を擁する神奈川県庁本庁舎の重厚なホリゾントの中に1400型のスマートなフォルムが浮かび上がる。日本大通県庁前(撮影/諸河久:1968年6月23日)
みなと大通りの街路樹と「キングの塔」を擁する神奈川県庁本庁舎の重厚なホリゾントの中に1400型のスマートなフォルムが浮かび上がる。日本大通県庁前(撮影/諸河久:1968年6月23日)
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 1960年代、都民の足であった「都電」を撮り続けた鉄道写真家の諸河久さんに、貴重な写真とともに当時を振り返ってもらう連載「路面電車がみつめた50年前のTOKYO」。今回から夏の季節にちなんだ「路面電車 夏の足跡」を紹介しよう。

【一方の「クイーンの塔」には、鮮やかさに彩りを添える蒸気列車が! 写真はこちら】

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 関東甲信越も梅雨入りし、コロナ禍に加えて鬱陶しい季節がやってきた。梅雨明けにはコロナ禍が終息して、ダイナミックな夏が幕を開けることを願うばかりだ。

 夏の太陽が輝く都会の街角を一陣の涼風のように走り去った路面電車たち。各地に残した足跡を夏の風情と共に回顧した。初回はハマ風が心地よい横浜の街を走った「横浜市交通局(以下横浜市電)」の路面電車から始めよう。

「横浜の三塔」を巡る横浜市電

 今年は横浜の路面電車が市営化されて100周年を迎えた。といっても、横浜市電が全廃されたのは1972年4月だったから、半世紀前には市中から姿を消し、市民の記憶も薄らいだ昨今だ。

 横浜市電は1960年代初頭に全盛期を迎え、総営業距離は54000mに達した。単線で敷設された中央市場線を除いて全線複線で、軌間は都電と同じ1372mmを採用。電車線電圧は600Vだった。

 冒頭のシーンは横浜三塔の「キングの塔」と呼ばれる神奈川県庁本庁舎の建物を背景に日本大通県庁前(にほんおおどおりけんちょうまえ)停留所を後にする8系統葦名橋(あしなばし)行きの市電。本町線が敷設された日本大通りと直角に交差するみなと大通りからの撮影で、街路樹の木陰を渡るハマ風が心地よかった。

 写真の1400型は車体長13.6m、3扉仕様の大型ボギー車。定員は120(36)名(カッコ内は座席定員)で、連接車を除き六大都市の路面電車の中では最多定員を誇り、戦後の復興輸送に貢献した。1948年木南車輛が10両を製造。半流線形のスマートな装いで、横浜市電では最初のドアーエンジン装備車だった。

 1928年に竣工した神奈川県庁本庁舎は「キングの塔」の愛称で親しまれている。神奈川県内務部の設計で、フランク・ロイド・ライトのスクラッチ様式を取り入れた和洋折衷型の荘厳な外観だ。現役の県庁舎として稼働しており、シンボルになっている尖塔の高さは48.6mある。2019年に国の重要文化財に指定されている。

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諸河久

諸河久

諸河 久(もろかわ・ひさし)/1947年生まれ。東京都出身。カメラマン。日本大学経済学部、東京写真専門学院(現・東京ビジュアルアーツ)卒業。鉄道雑誌のスタッフを経てフリーカメラマンに。「諸河 久フォト・オフィス」を主宰。公益社団法人「日本写真家協会」会員、「桜門鉄遊会」代表幹事。著書に「オリエント・エクスプレス」(保育社)、「都電の消えた街」(大正出版)「モノクロームの東京都電」(イカロス出版)など。「AERA dot.」での連載のなかから筆者が厳選して1冊にまとめた書籍路面電車がみつめた50年 写真で振り返る東京風情(天夢人)が絶賛発売中。

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