50年前、女性たちも政治、社会を変えられるという思いでエネルギーをぶつけた東大紛争/1969年1月14日(c)朝日新聞社
50年前、女性たちも政治、社会を変えられるという思いでエネルギーをぶつけた東大紛争/1969年1月14日(c)朝日新聞社

 1960年代後半、全国で広がった全共闘運動。現代以上に男社会だった当時、女性たちも闘った。今も変わらぬ信念で闘い続けている。AERA 2020年8月3日号から。

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 70年代に入ると、女性の社会進出や意識変革を目指すウーマンリブ(女性解放)運動が発火する。70年、女性解放のカリスマといわれる田中美津さん(77)が「便所からの解放」を唱えると、ウーマンリブが巻き起こり全共闘の女子たちも共感した。昨年末に上梓された『続・全共闘白書』(情況出版)には、女性解放運動について多くの女性が声を寄せている。

「個人の問題ではないことがわかった」(京都大学67年入学)
「女性の視点から物をみるようになった」(関西大学69年入学)

 70年に東京都立大学に入学した佐久間やす子さん(68)は言う。

「自分が女であるということ、女性が女性であること、そのこと自体が素晴らしいんだと教えられました」

佐久間やす子さん(68)。都立大出身。今も介護の現場で働く。「リブ運動が乱反射していくエネルギーは、全共闘が持っているものと同質のものがあったと思います」(撮影/写真部・加藤夏子)
佐久間やす子さん(68)。都立大出身。今も介護の現場で働く。「リブ運動が乱反射していくエネルギーは、全共闘が持っているものと同質のものがあったと思います」(撮影/写真部・加藤夏子)

 東京の出身で全共闘運動には「ちょっと遅れた世代」と自嘲するが、「革命」を叫び、一方で女性の生き方と地位を変えなければと考えた。

 性別役割分業は当たり前で、バリケードの中で女性はお茶くみと雑用。今でいうセクハラもあった。女性は「第二の性」、つまり主体ではない。「じゃあ、私は何なんだ」と思った。

 そんな時にリブ運動が起きた。友だちと一緒にリブ大会にしばしば出かけ、リブ運動に参加した。「第二の性」ではない自分を肯定でき、解放されていく感覚があった。

「特に『性』の問題。当時、性を扱うことは踏み外しているという意識がリブより上の人の中にありました。けれど私を含め多くの女性が、身体や性を通して自己発見、自己肯定していきました」

 同時に女性解放の運動にも加わった。80年代初頭、出産を強要し、伝統的な家庭形態で介護など福祉的な役割を女性に負わせようという動きが強まると、携わっていた優生保護法改悪阻止運動と連携。出産・子育て、99年から目黒区議を2期8年務め、介護の現場に入り今もケアマネジャーなどとして働く。自由、公平、平等、平和を軸に置く価値観は変わっておらず、今の外国人受け入れ制度や処遇は問題だらけで、運動に取り組みたいと意欲を見せる。

「この社会も世界も『よくなった』とは決して言えません。だけど絶望はしてません。変えようと思い時間をかけて続ければ変わっていく。それが全共闘とリブ運動の体験から学んだことでもあります」(佐久間さん)

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野村昌二

野村昌二

ニュース週刊誌『AERA』記者。格差、貧困、マイノリティの問題を中心に、ときどきサブカルなども書いています。著書に『ぼくたちクルド人』。大切にしたのは、人が幸せに生きる権利。

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