「星印」店主の沖崎一郎さん。YAZAWA愛に溢れている(筆者撮影)
「星印」店主の沖崎一郎さん。YAZAWA愛に溢れている(筆者撮影)

 次に選んだのは、「化学調味料不使用(無化調)の味噌ラーメン」を謳う店だった。だが、厨房で化学調味料を使っているところを目撃してしまう。客をだましているという罪悪感にさいなまれ、3カ月で退職することにした。

 ラーメンに嫌気がさし、麺料理の中で仕事をシフトすることを考えた沖崎さんは、イタリアンの世界に飛び込んだ。ラーメンとイタリアンの違いに戸惑いながらも、必死で仕事を覚える日々。盛り付けから食材の使い方、火の入れ方と次々に仕事を習得し、3年間無我夢中で働いた。

 沖崎さんの価値観を変えた店がもう一つある。蕎麦屋だ。

 料理人が書いた本を読み漁っていたとき、ある蕎麦屋の店主が書いた本に出合う。店主の考え方や世界観に魅了され、休日限定で無給で修行させてもらうことになった。

「ダメ元で手紙を書いたら、迎え入れてくれました。店主の魅力が詰まった店で、世界観も統一されている。ちゃんと料理をしている人ってシンプルにカッコいいんですよ。それがきっかけで、原点に立ち返って、ちゃんとやっているラーメン屋さんに戻ってみようと思ったんですね」(沖崎さん)

 そのとき思い浮かんだのが、高校時代に通った「支那そばや」の佐野さんの顔だった。佐野さんのもとで学べば一人前のラーメン屋になれるかもしれないと社員採用に応募。厳しいと評判の佐野さん直々の面接に緊張が走ったが、佐野さんが発したのは二言だけだった。

「ラーメン好きなのか」
「お前は大学を出てるのか」

 質問はこの二つで終了。何が決め手かよくわからなかったが、沖崎さんは無事に面接を通過。「支那そばや」での修行が始まる。27歳の頃だった。

「星印」の店内には矢沢永吉と並んで、ラーメンの鬼・佐野実さんのポスターが貼られている(筆者撮影)
「星印」の店内には矢沢永吉と並んで、ラーメンの鬼・佐野実さんのポスターが貼られている(筆者撮影)

 当時ラー博で営業していた「支那そばや」はとにかく忙しく、オープン前から閉店まで絶えず行列ができていた。下っ端の沖崎さんは野菜洗いや鶏ガラの処理からスタート。60センチの寸胴5台で一日中スープを炊き続ける日々だった。朝から晩まで働き、地獄のような忙しさだったという。

「本当に大変でした。ですが、公表している食材をしっかり使い、扱いや調理法まで本当にちゃんとしているんです。こんなに複雑にラーメンを作るんだと感動しました。これ以上の店はないと確信して、絶対に逃げてはダメだと心に決めたんです」(沖崎さん)

 少しずつ麺上げや包丁をやらせてもらえるようになったが、ネギを切る仕事だけは最後までやらせてもらうことができなかった。普通の店だとネギ切りはアルバイトに任せることも多いが、「支那そばや」では、切り方ひとつでラーメン全体を台無しにしてしまうと、ネギ切りを重要な仕事としていた。

 30歳になり、沖崎さんはついに佐野さんから店長に任命される。そのとき、佐野さんが自ら九条ネギの切り方を教えてくれた。

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卵かけごはんへのこだわり