ブームに左右されず、自分の一杯に向き合い続けている(筆者撮影)
ブームに左右されず、自分の一杯に向き合い続けている(筆者撮影)

「『支那そばや』の店長になるなんて、すごいことになってしまったと感じました」(沖崎さん)

「支那そばや」のラーメンには、佐野さんが全国を駆け回って見つけてきた最高の食材が詰まっている。しかし、スープや麺に使われている食材はお客さんには分かりづらく、魅力が伝わりにくいと沖崎さんは感じていた。沖崎さんは卵かけごはんのようなサイドメニューを開発し、食材の魅力がお客さんに伝わりやすくした。

 沖崎さんの「支那そばや」での修行は順調に進み、最後の1年は戸塚に移転した本店の店長も務めた。その中で、かねてから考えてきた独立への思いが湧き上がってくる。もう33歳。このまま歳をとっていくと独立は難しいかもしれないという不安もあり、「支那そばや」を退社することにした。

 退社後はアルバイトをしながら、休日には知人の店舗を間借りしてラーメンを作り、腕を磨き続ける。ラーメンの開発や資金調達には3年がかかった。十分なエリア調査ができぬまま、実家から程近い横浜の反町の物件を契約する。資金調達に苦労したこともあり、トータル200万円で店をオープンさせた。2014年3月のことだった。

 屋号は「ラーメン 星印」。大好きな矢沢永吉のTシャツからヒントを得たという。自分の好きなものに囲まれながらラーメンを作りたいと、店内には矢沢のタオルやフィギュア、マイクスタンドまで飾っている。BGMももちろん矢沢だ。ラーメンのベースは「支那そばや」を踏襲した。

「星印」の特製醤油らぁ麺は一杯1100円(筆者撮影)
「星印」の特製醤油らぁ麺は一杯1100円(筆者撮影)

 だが、集客はうまくいかなかった。開店から2年が経ってもお客さんが増える気配はない。1日11人という日もあり、いよいよ存続が難しくなってきた。自分で食べても美味しくないと感じるようになり、「何かが違う」とスープもタレも全てを捨ててしまった。

 リセットしたことで気持ちが楽になり、改めて1からラーメン作りに取り組むことにした。「支那そばや」の丁寧なラーメン作りや食材に対する姿勢はそのまま、少しずつオリジナルのラーメンを作っていく。イタリアンや蕎麦店で培った技術を使ったメニューも考案し、限定で出したりもした。

 壁にぶつかったとき、他店のラーメンを食べ歩く店主は多い。だが、沖崎さんはピンチになっても他の店の味を研究しなかった。そもそも、ラーメンを食べに行くことはほとんどないという。

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他店研究しないワケ