らーめん潤 亀戸店/京都江東区亀戸6-2-1 シローハウスII/10:00~翌3:00/年中無休/筆者撮影
らーめん潤 亀戸店/京都江東区亀戸6-2-1 シローハウスII/10:00~翌3:00/年中無休/筆者撮影

 喜んでくれるのは新潟出身のお客さんくらいで、「麺が太すぎて食べられない」、「天カスを抜いてくれ」という人もいた。

「天カスなんて使っていないのに、何のことだろうと思ったら、背脂を天カスだと勘違いされていたんです。新潟ラーメンどころか、背脂すら知られていない。何度も、もう無理だなと思いました」(松本さん)

 スタッフもほとんど新潟県出身。ゼロからの土台作りだったが、それでもめげずにラーメンを作り続けた。すると、食べた人の口コミが少しずつ広まり、3年ほどすると売り上げも伸びてきた。人気店には、ドカンと認知度が上がり行列店になるお店もあれば、口コミが口コミを呼び、時間をかけてその地に定着するお店もある。「潤」は後者だった。

 このままいけば、新潟ラーメンを提供するライバル店も現れるだろう――松本さんはそう思った。だが、なぜか現れない。松本さんは、自分の力で新潟ラーメンを広めていくことに力を注いだ。

「そもそも地方のラーメン店が東京で展開できる土壌がなかったんです。自分で苦労して、ようやく気づきました。当時、ラーメン屋自体がカッコいい商売じゃなかったし、地方からわざわざ東京に出てまで一旗あげようという人はいなかったんですね」(松本さん)

らーめん 潤」店主の松本潤一さん。「ラーメン屋は人を幸せにするいい商売」(筆者撮影)
らーめん 潤」店主の松本潤一さん。「ラーメン屋は人を幸せにするいい商売」(筆者撮影)

 蒲田店のオープンから14年が経ち、今では東京で新潟ラーメンを提供するお店も出てきた。「潤」が土台作りをしたことによって、新潟ラーメンそのものに人気が出てきて、全国にも広がり始めたのだ。そんな先輩の背中を追い続けるのが、冒頭で紹介した「我武者羅」の蓮沼さんだ。

「潤さんは新潟ラーメンを広めるために東京進出した、いわば故郷のアニキです。まさに自分が目指すことを実現しています。中華のコックさんから始まり、常に上を目指しながら前進している。何より新潟のラーメンをここまで有名にした功績が大きいです」(蓮沼さん)

 松本さんも、後輩・蓮沼さんのバイタリティを高く評価する。

「誰よりも新潟を愛する男です。若手を引っ張っていける存在だとも感じていて、これからは彼に任せていきたい。自分にはできない進化型のご当地ラーメンが作れるのも魅力です。文化を守りながらも、進化させていける貴重な職人です」(松本さん)

 新潟ラーメンへの愛が溢れる二人を見ていると、全国のご当地ラーメンの中でも新潟が注目される理由がよくわかる。日本の誇りとして、全世界に地元の文化を広げていってもらいたい。(ラーメンライター・井手隊長)

○井手隊長(いでたいちょう)/大学3年生からラーメンの食べ歩きを始めて18年。当時からノートに感想を書きため、現在はブログやSNS、ネット番組で情報を発信。イベントMCやコンテストの審査員、コメンテーターとしてメディアにも出演する。AERAオンラインで「ラーメン名店クロニクル」を連載中。

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井手隊長

井手隊長(いでたいちょう)/全国47都道府県のラーメンを食べ歩くラーメンライター。Yahoo!ニュース、東洋経済オンライン、AERA dot.など年間100本以上の記事を執筆。その他、テレビ番組出演・監修、イベントMCなどで活躍中。ミュージシャンとしてはサザンオールスターズのトリビュートバンド「井手隊長バンド」などで活動中。本の要約サービス フライヤー 執行役員、「読者が選ぶビジネス書グランプリ」事務局長も務める。

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