撮影/写真映像部・高野楓菜
撮影/写真映像部・高野楓菜

■結婚や出産に反対され

 ろう学校の高等部に上がると恋人ができ、二人は自然と結婚を望むようになった。だが、耳が聴こえない二人の結婚に、周囲から反対の声も上がった。

 母が生まれ育った宮城県では、旧優生保護法のもと、1970年代初頭まで障害者への強制不妊手術が実施されていたという。

 祖母には「結婚するなら、耳の聴こえる人にしなさい」と言われ、周りからは「聴こえない子どもが生まれたらどうするの?」と訊かれることもあった。父の姉は、「子どもができたら、私が代わりに育てる」と言った。

 それは「善意」や「心配」からくるものだったかもしれない。だが、二人はそうした言葉に真っ向から抵抗した。好きな人と結婚し、子どもを産み、自分たちで育てると決めていたのだ。

「母が諦めず、結婚後数年してようやく許されて生まれたのが僕です。僕は生まれていなくてもおかしくなかった」

 命の選択は、優生保護法がなくなった今も形を変えて続く。

「現在では遺伝子検査も発達しています。妊娠中に検査をして、何か問題があるとわかったとき、産まない選択をする女性を誰も責められない。むしろ責めるべきは、障害や病気がある人に対して偏見や差別がなくならない社会ではないでしょうか」

 大好きな母を“恥ずかしい”と思うようになったのは、五十嵐さんが小学3年生の時。家に遊びにきた同級生に「お前の母ちゃんのしゃべり方は変だ」と言われ、ショックと同時に、母を責める気持ちが生まれた。

「差別は、無知からくるもの。自分の発言や行動が間違っていたと気づいたら、そこから学んで、自分を修正していく過程が大切なのだと思います」

 寛容さがある場所にこそ、新しい命が育まれる。家族の物語を書き続けることで、著者は静かに社会に訴え続ける。(フリーライター・玉居子泰子)

AERA 2023年5月22日号