政治学者の姜尚中さんの「AERA」巻頭エッセイ「eyes」をお届けします。時事問題に、政治学的視点からアプローチします。
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安倍晋三元首相の国葬から見えてくる、ふたつのことを考えてみたいと思います。
まず、国葬を推進したい「頑迷な」推進派のことです。彼らは国葬を安倍元首相の悲願である憲法改正へのモメンタムにしたいと思っているのでしょうが、逆に国葬を強行することでその悲願が遠のいてしまいかねないジレンマを抱えてしまいました。自民党の憲法草案に旧統一教会の考えが反映されているのではないかという疑念が膨らみ、国民は自民党主導の憲法改正の動きにいかがわしさを感じつつあります。その意味では国葬は「オウンゴール」です。岸田首相がそこまで深慮遠謀の上で国葬を決断したとしたら、さすが「護憲派」の宏池会のリーダーというべきですが、実際は党内の権力の空白を埋め、挙党一致を演出し、弔問外交で自ら外交の檜舞台(ひのきぶたい)に立ち、「世界のキシダ」のお披露目をしたい。これが岸田首相の思惑だったのでしょう。しかし、それもエリザベス女王の葬儀で霞(かす)んでしまいそうです。
ふたつ目は、国葬がこの国の分断をより鮮明に浮き上がらせました。安倍政治の最大の問題点は、民主主義を「ライバル」同士ではなく、「友」と「敵」のゼロサムゲームに置き換えたことです。「友」に括(くく)られる学者やジャーナリストらにとって安倍さんは「いい人」だったのでしょう。一方で「敵」と認定されると容赦のない攻撃が加えられたのではないでしょうか。結果として安倍政治の評価は極端に分かれることになりました。国葬が実施されれば、この分断は架橋できないミゾを作り出すことになるでしょう。
今、大切なことは内政でも外政でも味方をできるだけ増やすことです。対立する側に同調者を増やすためにはどうしたらいいのか、そのために知恵を絞るのが狡智(こうち)に長(た)けた「保守」の政治力です。安倍元首相の非業の死を通じて日本の政党政治が、まともな社会的通念やコンプライアンスが通じない世界であることが明らかになり、国葬の問題でその歪(いびつ)さがより鮮明になりました。与党がマジョリティーを取っていても、国論が分裂して国民を納得させられない政治の貧困は、日本の国力の消耗に繋(つな)がっているのです。
◎姜尚中(カン・サンジュン)/1950年熊本市生まれ。早稲田大学大学院政治学研究科博士課程修了後、東京大学大学院情報学環・学際情報学府教授などを経て、現在東京大学名誉教授・熊本県立劇場館長兼理事長。専攻は政治学、政治思想史。テレビ・新聞・雑誌などで幅広く活躍
※AERA 2022年9月26日号