川崎市岡本太郎美術館の「母の塔」の下でライブペインティングに
臨む小松。何を描くかは決めていない。瞑想してマントラを唱え、無
の境地になることで降ってくるものをキャンバスに落とし込む(photo 写真映像部・東川哲也)
川崎市岡本太郎美術館の「母の塔」の下でライブペインティングに 臨む小松。何を描くかは決めていない。瞑想してマントラを唱え、無 の境地になることで降ってくるものをキャンバスに落とし込む(photo 写真映像部・東川哲也)

■美しすぎる銅版画家の呼称 つらくて円形脱毛症になる

《かわいい寝顔》は、見た目だけで怖がられていた怪獣が子どもを寝かしつけている絵だったが、高橋には不思議と「神と子」の姿に見えた。描いたのは23歳の若い子と知って興味が湧く。「神を表現するのに、神さまをそのまま描く必要はないと思う」と小松は言い、身近な人の死を経て、生と死について考えていた高橋はその言葉が腑(ふ)に落ちた。

「画家になれたら、死んでもいい」という小松に、それまでの作品を全部見せてもらう。いずれ「アーティストタレント」の時代が来ると予見していた高橋は「この子は人をひきつける資質を持っている」と確信。プロデュースに乗り出した。

 阿久悠のトリビュートアルバムのジャケットを描く仕事を小松が手掛けると、メディアからも声がかかり、「美しすぎる銅版画家」と露出が増えていく。だが、周りから見られる目がつらかった。本来、女性的な服は好きじゃなく化粧っ気もない。有名になりたいのではなく、お金が欲しいわけでもない……と悩み、円形脱毛症になった。

 自身の生き方を模索するなか、アート・オフィス・シオバラ代表の塩原将志と出会い、ニューヨークへ出張する際に同行してみてはと声をかけられた。アートアドバイザーの塩原は、若いアーティストにはできる限り視野を広げて欲しいという思いがあり、小松も「行きます!」と即答した。

「私と初めて会った頃、小松さんの中では画家としての生き方ではなく、版画家としての生き方にしか、自分の存在がなかったように思います。ニューヨークは世界のアートマーケットの中心地とされ、その現場を見ることで、自分の現時点の立ち位置と実力を知り、何をしたいのか明確になり、何をすべきか気付くと思ったのです」

 塩原が現地で案内したのは、美術館、取引のあるギャラリー、オークションハウスだ。それは美術史から学ぶこととマーケットの動向の二つを知ることが大切だからだ。小松にはポートフォリオを持って、1人でギャラリーをまわることを勧めた。だが、小松はたいてい門前払いされてしまう。銅版画は「プリント」という表現方法の一つでしかなく、評価はされても、一点物の絵画作品の市場での評価を超えることはないことも知った。

 塩原には「版画家ではなく、アーティストになれ」と言われた。銅版画にこだわらず、自分が表現したいものを創ればいいと背中を押される。その後、小松はキャンバスに直接絵筆で自分の心をぶつけて描くペインティングに表現を広げていく。

愛犬と過ごすのは至福の時。一緒に暮らす妹の紗羽は犬のトレーナー
で、2匹の愛犬と公園を散歩したり、旅をしたりするのが楽しい。犬の
話になると止まらず、「私のかわいい子どもたちです」と母の顔に(photo 写真映像部・東川哲也)
愛犬と過ごすのは至福の時。一緒に暮らす妹の紗羽は犬のトレーナー で、2匹の愛犬と公園を散歩したり、旅をしたりするのが楽しい。犬の 話になると止まらず、「私のかわいい子どもたちです」と母の顔に(photo 写真映像部・東川哲也)

(文中敬称略)

(文・歌代幸子)

※記事の続きはAERA 2022年8月1日号でご覧いただけます。