■祖父の死と向き合う中で 初期の代表作が誕生

 長野県埴科(はにしな)郡坂城町(さかきまち)で生まれ育ち、兄や妹とよく千曲川や近くの山へ遊びに行った。夢中で遊んでいると道に迷ってしまう。そんなとき現れるのが「山犬さん」だった。後をついていくと見慣れた道へ出て家に帰りつけるのだ。小松は動物図鑑で見たオオカミだと思っていたが、母から「ニホンオオカミはとっくに絶滅している」と聞いた。

 自然の中で物の怪を感じたり、「山犬さん」に出会ったり、不思議な体験が多かったが、周りの人に話しても理解されず、「怖い」と気味悪がられる。小学校では男子から「妖怪」「女」と呼ばれ、体操服をごみ箱へ捨てられたり、冷水をかけられたりしたこともあった。それでもいじめとは気にせず、薙刀(なぎなた)に励む活発さもあったが、中学ではクラスに馴染(なじ)めなかった。おなかが痛くなってトイレへ閉じこもり、学校へ行けない日が続く。

「人と話すのが得意な方じゃないから、皆が楽しそうにしていても入っていけなくて。家ではウサギやインコ、ハムスターなどたくさん飼っていて、ひとりでいるときは動物の絵を描いていました」

 物心つく頃から絵を描き、アートが好きな母とよく美術館へ行った。「私の絵も飾ってもらいたい」と言うと、「普通の人は画家になれないの」と笑われたが、「画家」になると決めていた。

 東京の女子美術大学の短大へ進学。入学当初は洋画を専攻したものの何をやりたいかわからず、日本画、デザインなどかたっぱしから試した。そこで出合ったのが銅版画だ。緻密な線にひかれ、刷りを重ねていく工程も楽しかった。女子美時代の恩師、小川正明は当時の小松を顧みる。

「非常に個性的な学生でしたね。版画の授業はテーマを特に設けない自由制作です。すると人物デッサンや写生は得意でも、何を描けばいいのかわからないという子も多い。その中で彼女は待っていましたとばかりに自分の表現ができるんです。最初の授業で描いたのはちょっと怖い怪獣のような絵で、『自分の心の中を素直に描いたら、こういう絵になった』と。面白い子だなと思いました」

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