■「大和西大寺駅」と「平城京」

 私は、今年度から放送大学で「空間と政治」というテレビ授業をしています。実はそのテキストの第2章「大極殿/高御座/紫宸殿」の冒頭に、今回の事件の現場となった近鉄大和西大寺駅が出てくるのです。それは近鉄大和西大寺駅が、復原された平城宮第一次大極殿の最寄り駅だからです。

 8世紀に建てられた平城宮第一次大極殿は、日本における政治空間の原点というべき場所であり、足を踏み入れると当時の政治空間を体感することができます。

 当時はまだ王朝が交代する可能性があった時代。大極殿は、王朝の正統性を視覚的に示すために建設されました。「極」は宇宙の中心である北極星を意味し、儒教思想に基づいて天皇が南面しています。また大極殿に置かれた高御座は、記紀に描かれた天孫降臨の神話を再現するための建物です。貴族は大極殿前の広場に整列し、天皇と向かい合うよう設計されています。思想とイデオロギーがはっきりした空間でした。

 それから1400年あまりを経て、そのすぐ近くにありながら、「広場」とは名ばかりの空間を舞台として、政治的動機には見えない動機から今回の事件が起きたことに、何ともいえない歴史の皮肉を感じています。

■複雑な動機あるのでは

 これまでのテロとは同列に論じられない半面、逮捕された山上容疑者には、21世紀に起こった事件の無差別殺人者との共通点があるようにも思われます。それは、政治的な主義主張がはっきりしているわけでもなければ特定の団体に入っているわけでもなく、一見どこにでもいそうな青年にしか見えないことです。

 例えば、2008年6月の秋葉原通り魔事件の加藤智大死刑囚や、2018年6月の東海道新幹線のぞみ車内で男女3人を殺傷した小島一朗受刑者など、それぞれ家庭内に深刻な対立を抱えていたにせよ、少なくとも表面的には問題がないような人が事件を起こすようになりました。

 私が山上容疑者について、「もう少し複雑な動機があるのではないか」と思ったのは、小島受刑者を題材にしたインベカヲリ★さんのノンフィクション作品『家族不適応殺』を読んだからです。受刑者に何度も会ったり手紙のやりとりを重ねたりしなければ本当の動機は見えてこないことを、この作品は教えてくれます。思想やイデオロギーが希薄になり、動機が家庭内の対立など私的なことになればなるほど、事件の解明は難しくなります。今回の事件にもそうした要素があると思っています。

 ひとつ気がかりなのは、こういう事件が起きたことにより、安倍氏に対して公平な見方がしにくくなり、「功」ばかりが語られて「罪」が語られなくなることです。国葬が行われれば、余計にそうした傾向が強まることも考えられます。安倍元首相がどのような人物であったのか、また政治家として、首相として、どのような功罪があったのか。いずれも、より客観的な検証を心がけていくべきだと考えています。

原武史(はら・たけし)/1962年生まれ。政治学者、放送大学教授(日本政治思想史)。著書に「空間と政治」、「皇后考」など/撮影・朝日新聞社
原武史(はら・たけし)/1962年生まれ。政治学者、放送大学教授(日本政治思想史)。著書に「空間と政治」、「皇后考」など/撮影・朝日新聞社

原武史(はら・たけし)/1962年生まれ。政治学者、放送大学教授(日本政治思想史)。著書に「空間と政治」、「皇后考」など

(構成・編集部 古田真梨子)

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