亡くなった医師・中村哲のアフガニスタンでの遠大な灌漑事業を継承し、命の水と食糧を未来につなぐ(写真=江藤大作)
亡くなった医師・中村哲のアフガニスタンでの遠大な灌漑事業を継承し、命の水と食糧を未来につなぐ(写真=江藤大作)

 ペシャワール会PMS支援室長・看護師、藤田千代子。ペシャワール会は、辺境の地への医療支援にとどまらず、井戸を掘り、用水路を引く灌漑事業と、命を守るための活動をしてきた。その代表・中村哲が凶弾に倒れた。それから2年半、藤田千代子は懸命に中村の遺志を継承しようと、仲間と奔走してきた。マザー・テレサに感銘を受け、看護師として中村を支えてきた。命をかけてもやらなくてはならないことがある。

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 気宇壮大な人道的事業を残した医師・中村哲(享年73)が凶弾に倒れて2年半が過ぎた。

 中村は、福岡に本拠を置く基金団体のNGO「ペシャワール会」と連動し、パキスタン北西辺境州でのハンセン病診療を皮切りに、隣国アフガニスタンの山岳地帯に診療所を次々と開いた。大干ばつが襲来し、数百万人が飢餓に直面すると地元民、現地に派遣された日本人ワーカーとともに1600もの井戸を掘る。さらにクナール川から約27キロの用水路を引き、戦乱の沙漠(さばく)1万6500ヘクタール(東京都杉並区の面積の約5倍)を沃野(よくや)に変えて65万人の農民の命をつなぐ。医療を究め、水と食糧を得る灌漑(かんがい)事業に行きついたのである。

 その間、藤田千代子(ふじたちよこ)(63)は、現地病院の看護師、事業コーディネーターとして中村を補佐し続けた。正真正銘の右腕、事業の継承者だ。ただ、昨年、アフガニスタンに復活したタリバン政権への米国中心の経済制裁によって「かつてない水準の飢餓」(国連世界食糧計画)に苦しむ人びとに支援を届けにくい歯がゆさを感じている。

 たとえば、米軍撤退後、日本からアフガンへの銀行間の送金がストップした。灌漑や農業、医療活動は現地の実践組織PMS(ピース・ジャパン・メディカル・サービス[平和医療団・日本])が行っている。用水路は建設したら終わりではない。毎年、洪水や土砂崩れで水路や水門は傷むので、人海戦術で修復する。診療所には医薬品が必要だ。その人件費や経費を送れず、PMS140人の職員が路頭に迷いかけた。藤田は、ペシャワール会の会長で精神科医の村上優(72)らと銀行に掛け合うが、相手は米財務当局に「制裁破り」と睨(にら)まれて莫大(ばくだい)な罰金を科せられるのを恐れて応じない。藤田と部下数人は、持ち出せるだけの現金をバッグに詰めて海外に渡り、出稼ぎ労働者の送金システムなどを使って資金を送る。今年5月に銀行間の送金が再開され、危機は回避されたが、いつ資金がショートするかと薄氷を踏む思いであった。

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