日本の学校生活には、是非を問われるものがたくさん存在しています。校則、大量のプリント、PTA活動、部活動、ランドセル――。正直アメリカに住みながら外から日本の学校に対する議論を眺めているときは、どれもが慣習や妥協策として続いているのだと思い込んでいました。「変えるのが面倒だからなんとなく」とか、「よりよい解決策がない」とか、消極的な理由で続いているのだろうと。なんなら義理の家族が言ったように「日本人、どうかしてる」と思っていました。

 でも日本に越してきて、自分の子どもが日本の小学校に通い始めた今では、その伝統が積極的に受け継がれていることがわかります。「大変だと思わない」、あるいは「確かに大変だけど変えるほど苦ではない」「子どものことを考えると変えない方がいい」、はたまた「絶対に必要だ」と思う人がいるからこそ続いているのだと。私自身、たとえばランドセルなんてリュックサックにしてしまえばいいのにとアメリカにいる頃は思っていましたが、いざ自分事となると娘にはランドセルを背負わせています(ランドセルについてはここに書ききれないのでまた次回に!)。

 何事もそうですが、現状肯定派、現状維持派の意見はメディアにはなかなか現れません。ですから外国からメディアだけを通して見ていると、どうしても日本の学校生活は問題だらけに思えてしまいます。もちろん一方で、大変なのにガマンしている人、そして当然のことと思って是非を問う必要性を感じていない人がいることもわかります。「算数セット記名の大変さって、恒例行事かと思ってた」という人が。だからこそ「その大変さ、変えられない?」と声を上げる必要性があることも。

 娘の算数セットには、名前シールが同梱されていました。私の母によると、30年前は手書きで記名していたからシールがあるだけでも楽になったんじゃないかとのことです。シールを貼るだけなら小1の子どもにもできるので、というか指が細くてシール好きな娘のほうが適任なので、記名作業はほとんど娘に任せ、親の負担は実のところそこまで大きくありませんでした。きっと先人たちが声を上げ、変えてくれたおかげです。物事は確実によくなっている。それを実現するためには、やはり声を上げ続けなければいけません。

〇大井美紗子(おおい・みさこ)/ライター・翻訳業。1986年長野県生まれ。大阪大学文学部英米文学・英語学専攻卒業後、書籍編集者を経てフリーに。アメリカで約5年暮らし、最近、日本に帰国。娘、息子、夫と東京在住。ツイッター:@misakohi

AERAオンライン限定記事

著者プロフィールを見る
大井美紗子

大井美紗子

大井美紗子(おおい・みさこ)/ライター・翻訳業。1986年長野県生まれ。大阪大学文学部英米文学・英語学専攻卒業後、書籍編集者を経てフリーに。アメリカで約5年暮らし、最近、日本に帰国。娘、息子、夫と東京在住。ツイッター:@misakohi

大井美紗子の記事一覧はこちら