■日本の国語教育は道徳

 ただ、残念なことに日本の教科書は面白い文章が少ない。小説も暗い話が多い。私は武者小路実篤の『友情』を読んで純文学が嫌いになりました。太宰治の『走れメロス』も最後は素っ裸で、読んでいて恥ずかしくて。いま、YouTubeなど面白いものがたくさんある時代。子どもが夢中になれる本を提案しないと、読書なんかしなくなってしまう。

藤原:日本の国語教育って道徳なんですよ。戦前は修身という道徳の時間があったけど、終戦後にGHQ(連合国軍総司令部)に廃止されたから、文部省(現・文部科学省)が国語の教科書に道徳を忍ばせた。『走れメロス』で友情を教え、魯迅の『故郷』でふるさとへの思いを教え、向田邦子の『字のない葉書』で親を思う心を教える。山口さんが「面白くない」と言うのは道徳だからなんです。

山口:確かに説教くさいんですよね。

藤原:だから、読解力というものが「あるべき心を当てなさい」となっちゃう。諸外国では国語の授業はクリティカルシンキング、つまり複眼思考を学ぶ場です。それには文章の中に隙間があって、ディベートできる余地があったほうがいい。例えば『走れメロス』を読んで、間に合わなかったら本当に王は人質の親友を殺すかどうかを議論する。こうした議論は正解至上主義の日本の学校教育では起こらない。複眼的に考える力が真の意味での読解力なんです。

山口:ほぼ同意です。私、大学入試センター試験(現・大学入学共通テスト)の国語では第1問の説明文は解けたけど、第2問の物語文になったら解けなかった。あれは本を読む子ほど解けないと思う。

■メタな思考を働かせる

藤原:面白いこと言いますね。日本の先生は読解力を誤解していて、名作を読んで作者の意図を当てるか主人公の気持ちを当てるか、いずれにせよ正解があると言う。僕は作家の重松清さんと親しいんだけど、重松作品は大学入試にたくさん出てくる。でも、作家も驚くような正解が問われるんですよ。受験を指導する高校の教員がどういうことを生徒に言うかというと、「自分の頭で考えると間違えるからやめてください」って。

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