日本ハムの斎藤佑樹投手。現役引退発表後、報道陣の囲み取材には笑顔を見せた (c)朝日新聞社
日本ハムの斎藤佑樹投手。現役引退発表後、報道陣の囲み取材には笑顔を見せた (c)朝日新聞社

 プロ野球日本ハムの斎藤佑樹投手(33)が今季限りの引退を発表した。

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 通算成績は、88試合に登板して15勝26敗。球団を通じ、「今シーズン限りでの引退を決断いたしました。ご期待に沿うような成績を残すことができませんでしたが、最後まで応援してくださったファンの方々、本当にありがとうございました。約11年間、北海道日本ハムファイターズで最高の仲間とプレーすることができて幸せでした」とコメントした。

 2018年、夏の甲子園第100回大会が始まる直前、AERAのインタビューに応じ、「このままでは終われない」と語っていたが、そこから勝ち星を重ねることはできなかった。当時のインタビューを再録する。

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(夏の甲子園 第100回大会)このままで終われない 「ハンカチ王子」斎藤佑樹が語る夢の甲子園

 2006年夏、早稲田実業と3連覇を狙う駒大苫小牧の決勝は引き分け再試合に。田中将大との投げ合いは、今なお語り継がれている。

「初めて甲子園のマウンドに立ったときは、小さいころからの夢、プロ野球選手を目指すための土俵に、ようやく上がれたなと感じました。そしてあの夏を経て、夢が現実的なものになった。僕の人生の分岐点でした」

 斎藤佑樹投手(30)はそう振り返る。2006年夏、第88回の甲子園大会。早稲田実業(西東京)のエースとして1回戦から実質一人で投げ通し、3連覇を狙う駒大苫小牧(南北海道)との決勝は引き分け再試合に。田中将大投手(現ニューヨーク・ヤンキース)との投げ合いに勝ち、彼はヒーローになった。1大会で投げた69イニング・948球はいまも最多記録として残る。

 近年何かと話題になるのが、球児の登板過多問題だ。甲子園で1千球近くを投げた斎藤投手もプロ入り後、肩を故障したが、因果関係はわからないし、悔いも一切ないという。

「僕は優勝できたし、いいことしかなかった。あれだけ投げられたことに感謝しています。仮に、あのときで野球人生が終わったとしても、それはそれで財産になったと思います」

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川口穣

川口穣

ノンフィクションライター、AERA記者。著書『防災アプリ特務機関NERV 最強の災害情報インフラをつくったホワイトハッカーの10年』(平凡社)で第21回新潮ドキュメント賞候補。宮城県石巻市の災害公営住宅向け無料情報紙「石巻復興きずな新聞」副編集長も務める。

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