アーチェリー男子コンパウンド個人に出場したマット・スタッツマン(米国)は、足で弓を持って矢を射る (c)朝日新聞社
アーチェリー男子コンパウンド個人に出場したマット・スタッツマン(米国)は、足で弓を持って矢を射る (c)朝日新聞社
ラオス唯一の代表選手ケン・テプティダ(右)と羽根裕之コーチ。男子100メートル(T13)予選で11秒72の自己ベストを記録した(撮影/編集部・深澤友紀)
ラオス唯一の代表選手ケン・テプティダ(右)と羽根裕之コーチ。男子100メートル(T13)予選で11秒72の自己ベストを記録した(撮影/編集部・深澤友紀)

 東京パラリンピックで選手たちが躍動し、障害者スポーツがこれまで以上に注目を集めた。その一方で、費用や練習環境の問題で出場や競技をあきらめた選手も少なくない。AERA 2021年9月13日号の記事を紹介する。

【写真】ラオス唯一の代表選手ケン・テプティダと羽根裕之コーチ

*  *  *

 生まれつき両腕がなく、右足で弓を持ち、肩にベルトを装着して矢を射るアーチェリーの米国代表、マット・スタッツマン(38)は、パラリンピックについてこう話した。

「腕がなくても、ハイレベルな戦いはできる。ここには差別や偏見はない。『誰だって、何だってできるんだ』ということを伝えたい」

 9月5日まで13日間開催された東京大会では、さまざまな障害のある選手たちが自らの障害特性と向き合い、創意工夫をしながら限界に挑んだ。無意識のバリアーを破り、一人ひとりの違いを認め、誰もが活躍できる共生社会実現に向けたヒントが詰まっていた。

 一方、陰の部分は見えにくい。

「パラリンピックは格差ばかり。すべてが先進国基準で不公平」

 そう指摘したのは、ラオス代表の陸上コーチ、羽根裕之さん(55)だ。千葉県君津市出身。中高時代に陸上に打ち込み、全国高校総体に出場した。37歳のとき、仕事中の事故で左腕を切断。自暴自棄になったが、パラ陸上と出合って再び走り始めると、三段跳びや走り幅跳びで日本記録を樹立した。

「目標を持つことで立ち直ることができた。この体験をロールモデルの少ない発展途上国で伝えられたら」と、2015年11月にNPO法人アジアの障害者活動を支援する会のスタッフとしてラオスに赴き、同国陸上界初のパラリンピアン誕生に向けて活動した。最初の3年は住居の提供を受けたが、以降はボランティアで指導する。

■土俵にさえ立てない

 今回ただ一人出場した弱視クラスのケン・テプティダ(21)は、この6年間で100メートルのタイムを2秒も縮めた。だが、一緒に練習してきた兄のゴン・テプティダ(26)は出場がかなわなかった。

 パラリンピックの陸上に出場するには、各種目・クラスごとに設定されている標準記録を突破しなければならない。2人は練習で標準記録11秒50を上回りながら、新型コロナウイルス感染拡大の影響で最終選考会が中止となった。欧州や日本での大会に出場しようとしたものの、コロナ禍による渡航制限や渡航費の高騰などのためあきらめた。

次のページ