そんなアメリカの子育てで、重視されていることばが‘please’です。子どもはまだことばがおぼつかない頃からpleaseを付けてお願い事をするよう厳しくしつけられます。‘Can I have water, please?’と言えないと、水ももらえません。

 最初は「丁寧な言葉遣いを重視する、なんて厳格な習慣だろう!」と思っていましたが、最近は考えが変わってきました。もちろん、ただ‘Water!’というのと‘Water, please!’では、後者のほうが丁寧なことは明白です。しかし、果たしてpleaseがあればどんな要求も丁寧になるのかというと、否。先に述べたように、大人の世界にはpleaseを付けるより丁寧な、間接的な要求方法が多々存在します。

 でも子どもの世界では、pleaseさえあればよし。それは子どもの要求が常にyesかnoを問うもの、というか実質は答えがyesと決まっているものがほとんどだからだと思います。

‘Water, please!’というとき、子どもの中で水をもらえることはすでに決定事項になっています。水をもらえないという選択肢は存在しません。砂漠の真ん中でも、車内販売サービスが中止された新幹線の車内でも、まっすぐな目をして親に‘Water, please!’と要求してきます。

 親は神様じゃありませんから、すでに子どもが飲み干してしまった空のペットボトルから水を湧かすこともできなければ、遠く離れた自動販売機へ一瞬で飛んでいって新たに水を買うこともできません。でも幼い子どもたちは、親が今すぐ水を与えてくれることに一片の疑いも抱かず、決定事項を通達するのです。‘Water, please!’と。

 こんなとき、ああ、子どもには敵わないなと思います。尊大とか不躾という形容は子どもには似つかわしくありませんが、純真無垢であるがうえに誰よりも残酷で偉い存在。そういう者たちだけが、常にPlease!と要求できるのです。

 やがて彼らも成熟し、please以外の間接的な要求方法を身につけていくことでしょう。でもそれまでは親として、Please!といわれたら、理不尽なワガママ以外はその要求に応えなければいけないなと思います。Please!といって100パーセント要求を叶えてもらえる期間は、人生でごくわずかなのですから。

〇大井美紗子(おおい・みさこ)/ライター・翻訳業。1986年長野県生まれ。大阪大学文学部英米文学・英語学専攻卒業後、書籍編集者を経てフリーに。アメリカで約5年暮らし、最近、日本に帰国。娘、息子、夫と東京在住。ツイッター:@misakohi

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大井美紗子(おおい・みさこ)/ライター・翻訳業。1986年長野県生まれ。大阪大学文学部英米文学・英語学専攻卒業後、書籍編集者を経てフリーに。アメリカで約5年暮らし、最近、日本に帰国。娘、息子、夫と東京在住。ツイッター:@misakohi

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