一見華やかなサクセスストーリーにも思えるが、内実はもちろん、さほど容易であるはずもない。生き馬の目を抜く激戦地パリで、フランス人スタッフを雇い、フランス人相手にフランス料理を提供する難易度は、恐ろしく高い。

■シェフの言うことは絶対 学んだのは料理より人間性

 京都出身の小林の妻を通じて知己を得た「菊乃井」3代目主人の村田吉弘(69)は、小林をこう評する。

「フランス人の中で日本人が三つ星獲るなんて、よっぽどよ。普通はありえへんよ。いろいろ嫌がらせもあったでしょう。でも僕は、フランス人は懐深いなとも思った。日本人でも認めてくれたわけだから。ただ、彼の頭の中はもうフランス人やからね。日本人みたいに和をもって貴しとなすみたいな、あっちにいい顔、こっちにいい顔というのと違うて、昔から自分のやりたいこと、やるべきこと、目指す方向性をはっきり持っとるわね」

 フランスに渡って20年余、小林は、戦闘モードを一度として崩すことなく、目標に向かって走り続けてきた。執心するのはパリの厨房(ちゅうぼう)だ。

「パリの魔力はすごい。パリにいると、もう胃が痛くなって、おなかが張っている。いつも気が張って、筋肉がクッとなって、身体も硬直している。でも、そのくらいじゃないと自分は戦えないし、いつでも神経を集中させていなかったら、自分の本当の料理は絶対に出てこないと思っています」

 舌の肥えた客やジャーナリスト、名店ひしめくパリに身を置く理由をさらにこう言う。

「世界的に有名なフランス料理のシェフが特にいっぱいいるのがパリ。だからフランス人のスタッフたちは、別にうちで働かなくてもいいわけです。それが自分と一緒に働いてくれるということは、自分が彼らに何かを発し、訴えかけているから。そこが自分のモチベーションにもなっている」

 時はいまから29年前にさかのぼる──。

 テレビのドキュメンタリー番組を見ていた15歳の小林は、映し出された三つ星シェフ、アラン・シャペルの姿に心を鷲づかみにされる。白いコックコートに黒ズボンと前掛け、自信に満ちたシルエットが無条件に格好よかったのだ。少年はその場で、「自分もシェフになる」と決意していた。

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