「後ろに転んだときにランドセルなら頭を打たないと言いますが、娘は玄関でしゃがむとランドセルの重さでよく後ろにひっくり返ります」

 これから夏になれば水筒も肩にかけ、日によっては習字道具や絵の具、上履き、傘なども持ち運ぶことになる。

 そもそもランドセルは義務ではないはずなのに、学校では義務に感じる、と都内に住む別の30代女性。2年前、子どもの入学式の持ち物に「ランドセル」と明記されていることに首をひねったと話す。女性は小学生のとき、途中からリュックで通学しており「ランドセル縛りは不要」と考えている。

 物理的な重さに加え、祖父母や親の期待などさまざまな要素を詰め込んだように思えるランドセル──。なぜ、これほど小学校に浸透したのか。千葉工業大学の福嶋尚子准教授(教育行政学)にその歴史を聞いた。

「日本のランドセルは、元々は軍隊が使っていた背のうを通学用にアレンジしたもの。業界団体であるランドセル工業会がまとめた『ランドセル130年史』によると、加盟する各社がサイズや素材、耐久性などを協議し、検討を重ねてきた結果として、子どもや保護者に広く受け入れられてきた経緯があります」

■教育を日常に広げる

 なお、高額ランドセルの問題が浮上したのは今回が初めてではない。昭和40年代にも一度、価格高騰への批判から「ランドセル廃止論」がわき起こり、ランドセルを認めない学校や自治体が全国にいくつか現れた。業界の陳情などによって廃止論は沈静化したが、「保護者たちからある程度の支持を得られていたからこそ、廃止論がおさまった面もあったのではないか」と福嶋さんは分析する。

「あれだけたくさんの荷物を持ち運ぶことを考えたら、やはりランドセルがいいと感じる保護者は当時から少なくなかったのでは。リュックでは中身がごちゃごちゃになってしまうし、6年間の使用に耐えられません」

 ランドセル廃止論の後、業界内で価格の自主規制が行われてきた点にも福嶋さんは注目する。価格の高騰は世論の反発を招いて廃止論につながるとわかり、調整が行われてきたのだ。しかし近年、海外製品の流入や、ランドセルのデザイン・機能性の多角化により、自主規制が機能しなくなったのではないかと福嶋さんは言う。

 ランドセルの使用には「学校教育の在り方」が密接に関わるとも、福嶋さんは指摘する。

「もし学校の授業だけで勉強が完結するなら、ランドセルはなくてもいいのです。教材を家に持ち帰ったり、宿題をしたりする必要がなければ、重い荷物を持ち運ぶ必要はありません。学校教育を日常に広げ、家庭と行き来させるためにこそランドセルが必要になるのです」

 ただ、他の鞄が認められないのはおかしい。

「各学校で校長が持ち物としてランドセルを指定することは可能だが、離脱の自由は認められるべきだし、指定の目的も合理的に説明されなければならない」(福嶋さん)

(ライター・大塚玲子)

AERA 2021年6月28日号より抜粋