どうしてダメなんだろう。

 年度が替わり、2011年8月、私は長女が通っていた児童発達支援センターで行われた就学相談会に、長女ではなく息子の相談をするために予約を入れました。教育委員会の責任ある立場だと言っていた男性は、息子の話を聞くと、間を開けずに話し始めました。

■養護学校が「その子のため」?

「身体障害者手帳2級で、ここ(頭)が大丈夫な子、見たことがないんだよね。お母さんは毎日一緒にいるからコミュニケーションが取れるんだろうけれど、本当に知的な遅れはないの? お母さんが大丈夫だと思っているだけじゃないの? 僕は最後の現場が特別支援学級だったからよくわかるんだけど、身体が不自由な子は頑張って普通級で学ばせるより養護学校の方がその子のためだよ」

 私は決して特別支援教育を否定するつもりはありません。長女の様子を見ていると、支援に関わる先生はとても温かくて熱心な方が多く、専門的知識を持って個性を最大限に伸ばしてくれる場所であると実感しています。けれども、息子が特別支援学校に入学すると、最もコミュニケーションを取る相手は子どもではなく、先生になると思われました。

 当時はまだ肢体の特別支援学校を卒業後は作業所へ就労という流れが一般的で、私が望んでいた同年代の子どもたちと一緒に思い切り遊んだり学んだりできる環境とは程遠く、息子の可能性を狭めてしまう気がして、どうしても躊躇していました。

■幼稚園探しは難航した

 残る道は次女が通う一貫校の幼稚園に編入して、そのまま私立小学校へ進学することでしたが、教育委員会のスタッフからは追い打ちをかけるように、「私学への教員加配の補助金制度はない」と言われました。3年後の成長を見越しても、息子は移動時に支援が必要な場面があると思われ、公立小学校なら利用できる支援制度が使えないとなると、私立小学校への進学は困難な気がしました。

 その直後の11月、前年度から調整を重ねて、次女が通う幼稚園の入園面接を受けました。ですが、翌日に届いたのは、A4サイズの紙1枚に書かれた不合格通知でした。

 どうして日本はこうなんだろう。

 息子の幼稚園を探し始めた頃から、何度となくこの言葉が頭に浮かびました。当時は私の父がアメリカで仕事をしていたこともあり、80歳の祖母が車椅子をレンタルして西海岸へ渡航した時のことも思い出しました。

「日本では杖を使って歩くととても邪魔になってしまうけれど、アメリカの人は車椅子でもお先にどうぞってみんなが言ってくれるのね。本当に良い国ね」

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グアムの海で夫が言ったこと