私自身も、その前年に訪れたグアムで、アメリカのバリアフリーに直接触れていました。

■優しい大人に囲まれて育ったら

 グアムの街は日本に比べると発展していないものの、小さな段差でも必ず横にスロープがあり長女のバギーが通れない所はありませんでした。通り過ぎる人が子どもたちにウインクをしてくれたり、話しかけてくれたり、ドアを開けてバギーが通るのを待っていてくれたりと、自然な優しさがたくさんありました。

 何より、グアムで数日間過ごしたある日に、浮き輪を使って海で遊んでいた息子を見ながら夫が言った言葉が忘れられませんでした。

「ここではこんなに可愛がってもらえるのに、何で日本ではダメなんだろうなぁ。こんな綺麗な海を見ながら優しい大人に囲まれて育ったら、コウはきっと良い子に育つんだろうな」

 いつも冷静な夫が、初めて悲しくて悔しそうな顔をした瞬間でした。

 アメリカ……か。

■我が家の状況伝えた

 私は、日本人がアメリカに移住するにはどうすれば良いのかを調べ始めました。もう日本にいる必要性が全く見えなくなっていました。初めは縁のあるカリフォルニア州が良いと思ったものの、なかなか有益な情報には出会えず、たまたまインターネット上で見つけたのは、ハワイ州にある日本人の子ども向けの留学エージェントでした。

 ハワイは暖かくて湿度が低く、さらに日系のドクターも多い。もしかすると長女が暮らすにも最適な環境かもしれない。そこで、その場でそのホームページ宛にメールを送ってみたのです。

 ここで知り合ったのは、ティナさんという私より5歳年上の女性でした。初めはハワイ在住の日系人だと思っていましたが、Tinaはミドルネームで、アメリカ人のご主人を持つ日本人でした。

 足が不自由な息子がいること、その息子にどうしても教育を受けさせたいこと、住んでいる地域ではそれが叶わないかもしれないこと、たまたま海外との流通会社を経営している夫の仕事を通じてビザを取得できないかと模索していること。メールだからこそ、誤解のないように我が家の状況を細かく伝えました。もしかしたら返信が来ない可能性もありましたが、自分にできることは全てしておきたいと思ったのです。

■「ハワイに来てみませんか?」

 返信はほんの数時間で来ました。

「日本の閉鎖的な感じがすごく伝わってきました。アメリカの教育の基本はインクルージョンですよ! 思い切ってハワイに来てみませんか? 私も夫もできることは何でも協力します」

 仕事とはいえ、見ず知らずの人にこんなに寄り添ってくれる方がいることに驚きました。文面から彼女の明るさが伝わってきて、私まで前向きな気持ちになれました。

 土地勘もなく不安もありましたが、ティナさんと出会えたおかげで、プリスクールの手続きはすぐに完了し、最短で入園できると言われた12月3週目に合わせて、その前週に渡米することに決めました。

 なかなか噛み合わずに止まっていた歯車がピタリと合い、回り始めた感覚……。

 幼稚園の不合格通知を受け取ってから約5週間後、私は子どもたちを連れてハワイへ向かいました。

〇江利川ちひろ/1975年生まれ。NPO法人かるがもCPキッズ(脳性まひの子どもとパパママの会)代表理事、ソーシャルワーカー。双子の姉妹と年子の弟の母。長女は重症心身障害児、長男は軽度肢体不自由児。2011年、長男を米国ハワイ州のプリスクールへ入園させたことがきっかけでインクルーシブ教育と家族支援の重要性を知り、大学でソーシャルワーク(社会福祉学)を学ぶ

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江利川ちひろ

江利川ちひろ

江利川ちひろ(えりかわ・ちひろ)/1975年生まれ。NPO法人かるがもCPキッズ(脳性まひの子どもとパパママの会)代表理事、ソーシャルワーカー。双子の姉妹と年子の弟の母。長女は重症心身障害児、長男は軽度肢体不自由児。2011年、長男を米国ハワイ州のプリスクールへ入園させたことがきっかけでインクルーシブ教育と家族支援の重要性を知り、大学でソーシャルワーク(社会福祉学)を学ぶ。

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