終末期の人たちのために奔走する人たちはさまざまだ。善意の在宅医もいれば、「かなえるナース」のような事業も生まれている。ボランティアでその願いをかなえる団体もある。意思の疎通ができる終末期の人を対象とする、一般社団法人「願いのくるま」だ。本人が最後に行きたい場所に医療用車両を使い、看護師同行で無料送迎する。

 事故車のリユース事業を行う「タウ」が、協賛企業の支援を受けて運営している。同社の宮本明岳(あきたか)社長(53)は、「看護師の社員の他にも、一般社員が同行します。命や健康の大切さ、事業収益で社会貢献ができていることを実感し、仕事への誇りを感じられるようになってきています」と語る。

 20年9月中旬、小野由紀子さん(62)は、愛知県蒲郡市の海沿いに立つホテルに到着した。岐阜県から車で約3時間もかかった。小野さんの希望は、「大好きな孫や親友と一緒に、思い出の海に行きたい」だった。親友の女性が捕ってきてくれた雌雄2匹のカブトムシを、彼女は4歳の孫に手渡した。

「カブトムシは何を食べるか、知ってる?」と、孫に嬉しそうに尋ねる小野さんを、長女(33)は黙って見つめていた。母親の乳がん発症は約5年前。19年7月以降、体調は急速に悪化した。

「がん細胞が皮膚表面にせり出し、赤いおでき大の発疹が潰れ、体液とともに血液成分が浸み出し、服が血まみれになることが増えたんです。週2回の輸血と出血の繰り返しでした」(長女)

 通称“花咲き乳がん”と呼ばれる。孫の帽子とお揃いにも見えた小野さんの長袖の濃紺色は、岐阜からの移動中の出血も想定し、孫や周囲に気づかれないようにと選ばれたものだった。小野さんはこの5日後に亡くなった。

 当日同行した、タウの社員兼看護師の酒匂(さこう)こず枝さん(32)は、笑顔を見せる本人や家族と接すると、患者中心の医療の大切さを痛感するという。

病院だと効率優先で、誤嚥性肺炎の疑いがあれば胃ろうが簡便、終末期の人は外出させないほうが安全という発想に陥りやすい。でも、患者さんの気持ちが置きざりにされていることが多いように感じます」

 小野さんが亡くなった後、長女はしばらく落ち込んでいたという。

「長男がある日、メモリーカードを、私に持ってきてくれました。蒲郡の海で撮影した動画が残っていて、笑顔の母を見ていたら、私なりに介護をやり切ったんだと、やっと吹っ切れました」

 母親が亡くなった翌月、長女は起業した。専業主婦が自宅で働けるように、IT環境の整備を応援する夢を実現させていた。彼女が母親の痛々しい闘病さえ歯切れよく話してくれていた理由が、ようやくわかった。(ルポライター・荒川龍)

AERA 2021年2月1日号